上杉手取川合戦織田

1:名無しさん@お腹いっぱい。
前スレ http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149761323/l50 前々スレ http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1141658067/ 合戦の真否や規模について、引き続き検証していきましょう。 合戦を伝えるとされる謙信の書状[歴代古案89・越佐史料5-397=抜粋] 当陣之模様無心元候間、内々以飛脚可申候処、此表仕置執紛令延引候、 如啓先書ニ、当月十五、遊佐美濃守守年来以奏者之好令忠信、彼之讒輪ヘ 当手可引入由申候間、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候 長対馬一類一族百余人討捕、実城乗取、其外温井備中・三宅備後・内藤王・ 平以下身命計相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、 是者 賀・能之間之地ニ候間、源五殿、斎藤龍置、当国一変ニ申付候処ニ、 是を信長一向ニ不知、十八、賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所ニ、両越・能之諸軍勢 為先勢差遣、謙信事も直馬候処ニ、信長、謙信後詰迄聞届候哉、当月二十三夜中ニ令敗北候処ニ、 乗押付、千余人討捕、残者共悉河ヘ追籠候ケル、折節洪水張故、無瀬、人馬不残押流候、(後略) 天正五年九月二十九日

2:名無しさん@お腹いっぱい。
>>1の訳文 こちらの合戦の状況を知りたいとのことで、内々に使者を寄越されましたが、 こちらは戦が長引いています。先に使わした書状(9月15日付の北条高広父子宛) のとおり、今月十五日に遊佐美濃守の年来の忠義もあって、わが軍を城内に引き入れる ことに成功し、わずか一日で七尾城を制圧し、城主の長対馬ら一族百余人を討取り、 本丸を占拠しました。温井備中、三宅備後、内藤ら畠山家臣の命は助けました。七尾城 が手に入りましたので、十七日に末森城を攻めてここも入手しました。末森城は加賀と 能登の国境にある城です。源五殿(山浦国清)と斎藤龍(朝信)をここに置き、能登を わが分国に変えることを申し付けましたが、信長は一向にこれを知らない様子で、 十八日に加賀湊川(手取川)まで来ました。数万騎の軍勢が陣取っているところに、 越後・越中・能登の諸軍勢を先陣として差し向け、私も馬に乗って出撃したところ、 信長も私の後詰を知ったらしい。二十三日の夜中に敗走しているところを追撃し、 千人余を討取り、残る者たちはことごとく川へ追い込みました。ちょうど洪水で川は 水かさが高く、立っている浅瀬もないので、人馬が押し流され何も残らない有様でした。 (このあと、信長は意外に弱かったよ。この分なら上洛も簡単だよ。二十六日に七尾城の普請を はじめたが、ここから眺める七尾湾の風景は素晴らしいよ。などとつづく) 天正五年九月二十九日 ※文中の9月15日付の書状にも、加賀で織田勢が敗北した記述がある。

3:名無しさん@お腹いっぱい。
姉川や長篠の戦は教科書に載るけど、この戦いは載る事はない

4:名無しさん@お腹いっぱい。
両者の兵力について教えてください。





5:名無しさん@お腹いっぱい。
前スレの説によると、織田軍は >織田勢の人数は諸説ある。 >「数万騎陣取候」(謙信書状) >「兵四万八千に」(北越軍記・武田三代軍記・日本外史) >柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀、斎藤新五、氏家直通、 >安藤守就、稲葉一鉄、不破光治、前田利家、佐々成政、原長頼、 >金森長近および若狭衆 >こいつらは、何人動員できるのだ? >そのメンバーで、単独で一万の軍勢を持てたのは柴田と羽柴のみ。丹羽、滝川は >当時はまだ遊撃軍。前田や佐々はもともと柴田軍としてカウント。 >そしてこの時期の信長と信忠は北陸には軍を出していない。 >最大限見積もっても三万超えるかってところかね。羽柴軍離脱後はさらに激減。 ※上杉軍は書状原文(関東衆は不参加)から考えて >両越・能之諸軍勢 越後・越中・能登の合計で2万5千〜3万程度?

6:名無しさん@お腹いっぱい。
戦略的に意味があったか不明の戦い 手取川以北と以南で勢力を分け合ったまま 本当にあったか怪しい合戦だけど、あったとしても意義が薄い 謙信が織田軍に勝った!という宣伝効果ぐらいしか(それも信長本人に勝ったわけではない。信長がいたという誤伝があるようだが…)

7:名無しさん@お腹いっぱい。
>>6 ・織田信長にとっては、(柴田の)加賀侵攻が天正8年まで(3年)遅れる。 ・松永久秀が謙信再上洛を見越して信貴山蜂起。 ・織田軍では、秀吉が無断離脱(以後の謀反を誘発した説・秋山駿氏) ・越中魚津城陥落は天正10年6月(本能寺の変の翌日)で、結果的に織田軍は越後国境に近づけず。 こんなところか?

8:名無しさん@お腹いっぱい。
謙信死亡時点で、上杉の防衛線が手取川にあるのか七尾城にあるのかで、 その後の織田軍の侵攻速度に、大きな差がある。 謙信死亡−本能寺の変までの期間で、 織田軍が越後まで侵攻できなかったので、 手取川合戦は戦略的には大きな意義があったと考えられる。

9:名無しさん@お腹いっぱい。
この合戦が無かったというのは都市伝説だよな

10:名無しさん@お腹いっぱい。
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。 なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている 謙信の書状ただ1つだけなのだ。 完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と 信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に 全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。 (後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw) と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など 無かったと思われる。 もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは 勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを 繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。 手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は 手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な 戦闘であると見たほうがいい

11:名無しさん@お腹いっぱい。
>>10 歴史家も大規模な合戦とは認定してないよ。 漏れも敗走(撤退)中を追撃と、史料どおりにしか考えてないし。 かりに数万単位でガチに当たってたら柴田軍は壊滅だろ、謙信相手に野戦なんて。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
織田軍の名のある武将が集まっていてそれが大敗したのに 一人も戦死者ないし溺死者が特定できないっていうのもな それにまともに交戦したのなら、謙信敗北してたんじゃないかね 後の織田・上杉軍の戦闘経過を見ると、両軍の戦力差は歴然 月岡野の戦いなんかじゃそれこそ手取川で謙信が主張する以上の打撃を上杉軍は受けてしまっているわけで

13:名無しさん@お腹いっぱい。
「上杉に逢うては織田も名取川はねる謙信 逃ぐるとぶ長」 の狂歌が詠まれるくらいなので、余ほど一方的な状態であったと思われる。 あくまで七尾城救援が目的であったために、七尾落城で目標を失ったことで合戦対象が 自軍に向けられると錬磨された大軍の柴田軍といえども 北陸の隘路で謙信と戦うという不利な状況が恐怖心を掻き立てることになったと思われる。 撤退と決まったことで全軍浮き足立ち、勝手に敗走軍と化したのが本当のところだろう。 せいぜい上杉先鋒が撤退する柴田軍を突いた程度の合戦で、戦死者のほとんどは 増水した手取川に追い落とされた?自ら飛び込んだ? という、およそ合戦とは言い難いものだったに違いない。 みなさん一致、ということで・・・

14:名無しさん@お腹いっぱい。
当時の雰囲気 上杉「織田と戦ったら勝てた。楽勝!」 織田「行軍していたら何か上杉軍が襲い掛かってきて痛い目にあった」 そんなもんだったんじゃないかな。 少なくとも織田はあれを合戦と意識していなかったと見るべき。 もしくは合戦と認めなかった。 ただの略奪や追撃や虐殺にしか見えないことなら、 わざわざ史書に「合戦」とは誰も書かない。

15:名無しさん@お腹いっぱい。
>月岡野の戦い その時期の越後は内戦状態だからね、ちょうど信長自害後の安土(城将逃走)や 甲信地域(織田勢敗走)と同じ状態のところに攻め入ったわけで。それでも天正6年 から足掛け5年かけても柴田は越中を完全制圧できてない。

16:名無しさん@お腹いっぱい。
そもそも謙信が強い!という前提で話があるけどさ 具体的に野戦で謙信が確実に史料からあったと分かる合戦で見事な指揮を見せたことってあるの? 信長の桶狭間とか、元就の厳島とかに匹敵する武功ってあったっけ? 川中島は善戦したけど結局追い払われてるわけで 単に野戦する機会が少なかったから負けが少なかっただけじゃないの? 上杉謙信の戦歴、とかいうの載せてるファンサイトだと、攻め倦めて撤退とかも無理矢理引き分け扱いにして不敗とかほざいてるが(笑

17:名無しさん@お腹いっぱい。
「軍鑑」を史料とするかどうかは微妙だが、信玄が勝ったとしている「妙法寺記」 ほかに武田軍の大将クラス(両角豊後・典厩信繁・油川彦三郎・初鹿野源五郎・三枝新十郎ら) の戦死が確実だから、永禄4年の川中島戦術的勝利は歴史家も認めるところだな。 第一次では荒砥城(川中島のはるか南)を制圧し、深志(松本)方面に進出。 第二次合戦は犀川の緒戦で勝利し、信濃諸将の本領復帰と旭城の破却を条件に、 今川義元の調停で和議(戦略的にも勝利)だな。小さな野戦でいえば家督相続前の越後内戦や武田に通じた 大熊朝秀を破った駒返合戦などもあるが、仰るとおり攻城戦が大半で野戦は少ない。  といっても、関東の諸城(小田原城など例外はある)が戦わずして開城したのは史実だし、このスレで問題の 信長が謙信(信玄にもだが)に洛中の情勢を報告したり、贈答品を贈って誼を通じている 史実から、軍記書に「軍神」と称されたのも根拠があるんじゃないか。漏れは 「軍神」なんて宇佐美文書の創作だと考えているが。  で、手取川合戦で織田方に有利な史料(傍証でもいい)はあったのか?? 一次史料を否定するなら、それなりの傍証が必要だぞ(笑  謙信書状以外にも、謙信の越中・能登・加賀平定を傍証する一次史料があるの、知ってるか?

18:名無しさん@お腹いっぱい。
川中島が戦術的勝利で戦略的敗退という声はよく聞くけれど、 自分の嫡男を死なせてまで矛先を変えざるを得なくなった武田家も決して勝者じゃないよな。 スレ違いですまんが。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
【上杉家の特徴】 ・武田に北信濃を奪われ、頼りにしてきた豪族を裏切った上杉は論外 ・関東を散々荒らしまくりながら、結局土地を取れなかった上杉は論外 ・一時の感情で味方に暴行し、離反された上杉は論外 ・小学生でも見抜けるような捏造武勇伝ばかりの上杉は論外 ・下野の小豪族佐野家の城を10度攻め、一度も落とせなかった上杉は論外 ・関東豪族を裏切ってまで北条と同盟したのに、その後北条にも同盟破棄された上杉は論外 ・家臣に反乱を起こされまくった統率力が無い上杉は論外 ・後継者の事を何も考えず便所で死亡し、勝手に自滅した上杉は論外 ・勢力的に明らかに格下の神保に苦戦しまくった上杉は論外 ・織田家に嫉妬し、手取川の戦いを捏造した上杉は論外 ・伊達家に対するコンプレックスで松川の戦いを捏造した上杉は論外 ・自ら起こした関ヶ原で負け組みになった上杉は論外 ・幕末、何も見せ場がなかった上杉は論外 ・容姿がキモ過ぎる上杉は論外  http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/kenshin.jpg ・肖像画まで捏造した上杉は論外 ・大量の基地外信者を生んでしまった上杉は論外 【vsスレ荒らし・上杉信者の特徴】 ・根拠もなしに上杉謙信最強と言う ・歴史初心者に上杉家最強と吹き込む ・紛れも無い捏造の松川を事実と言い張る ・上杉を擁護するために平気で捏造をする ・自作自演での印象操作が得意 ・たいして知識が無いのに、歴史に詳しいフリをする ・なぜか伊達家の話題を振ってくる ・突っ込んだ質問をされると即逃走 ・人格攻撃、コピペが得意 ・どこ行っても嫌われ者 ・上杉は○○だからダメと言われる→そんなことは無い、とただ単に全否定するだけ ・一度書き込み出すと連続で書き込む(でも時間は絶対に被らない)

20:名無しさん@お腹いっぱい。
謙信死後、加賀で粘って戦ったのは一揆衆では。これは本願寺からの指導を受けていた通り上杉勢とは言い難い 月岡野は元より、菱脇や天神山でも上杉勢は織田家に敗退 川中島で戦術的に点数稼いだからって、大敵を撃滅したり大将首すら奪った元就やら信長やら島津家やらより謙信が上とは到底思えないな

21:名無しさん@お腹いっぱい。
>月岡野は元より、菱脇や天神山でも上杉勢は織田家に敗退 謙信死後のことだろ。 謙信がいるかいないかで、上杉軍が勝ったり負けたりするのは、 むしろ謙信の力がいかに大きかったかの証拠だろ。

22:名無しさん@お腹いっぱい。
>>20 べつに思うとか思わないとかはどうでもいいよ。 手取川で織田が壊走した史実の精度が知りたいのであって。 それに、信長死後の織田軍の崩壊ぶり(森の遁走・河尻の頓死・滝川の敗走) をみると、平素からの織田勢の弱さも傍証されるわけで、その直前まで越中魚津城 で玉砕するまで戦った謙信「手飼之者」は強兵だと「思う」がね。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
なんだ、謙信も上杉家も実際は大したことないんだ 玉砕したら敗北しようが強兵って何て旧日本軍的なw ってこれは過大評価スレ行きの話題か

24:名無しさん@お腹いっぱい。
どの英雄も兵団も「たいした事ない」と言い切ればその通りで、 「伝説」ほどは「たいした事ない」よ。

25:名無しさん@お腹いっぱい。
結論出てるみたいだから、もうやめちゃうかい? 前々スレの上杉方の「勝利宣言」より 929 :無名武将@お腹せっぷく :2006/04/21(金) 15:37:11 次スレ立てるまでもなく、決定だな。 軍神上杉謙信が織田勢を撃破した手取川の合戦は、定説どおり史実だったと。 「公記」の記述にしたがうなら、手取川を越えた勝家傘下の織田勢は ほうぼうに火を放ちながら富樫(金沢)まで進軍。ここで七尾城陥落を知り、 撤退を決断するも謙信に追撃される。夜間、手取川を渡河中を急襲され、 少なくとも1000名以内の兵が討ち取られ、あるいは追い込まれて川に流された。  命からがら逃れた織田勢は、手取川の南10キロにある御幸塚の城砦を普請し、 周囲の田畑から作物を運び入れて篭城体勢に入った。さいわいにも謙信の渡河追撃が なかったので、10月はじめには城代を配置して帰国。  これに対する具体的な反論なし。

26:名無しさん@お腹いっぱい。
無理矢理一般化した話ではなくて 実際の戦績において最終的に敗退した川中島の善戦ぐらいしか「凄さを示す戦い」が出てこないから言われてしまったのでは 何かもっと戦績は無いわけ?

27:名無しさん@お腹いっぱい。
>>26  裏づけ史料はないが「関八州古戦録」に、 北条氏政(3万)に包囲された唐沢山城(佐野昌綱)救援にわずか40騎で 赴き、その夜叉羅刹ぶりを恐れた北条軍が手出しをできないまま謙信の入城を 許す。というのがある。当然、その後越後・関東連合軍が北条軍を退散させ、 小田原まで追撃。もう少しのところで北条軍は壊滅するところだった。  こんな武勇伝ならゴロゴロしてるよ。手取川合戦では、越前まで攻め込んだことに なってるしね。まぁ、謀反や留守中に狙われた以外は越後侵犯をいっさいゆるして ないってところは、評価に値するんじゃないの。

28:名無しさん@お腹いっぱい。
群雄割拠の戦乱越後を統一して、 信州、関州、加州に攻め入って、 川中島では信玄に肉薄し副将信繁を討ち取って、 小田原城を囲んでは頼朝以来の名門鎌倉八幡で関東管領就任式を挙行して、 はては手取川では織田軍を蹴散らした、 酒と戦さにゃ強いが、義理には弱い、謙信公。 ↑こんだけで、だいぶ凄いと思うぞ。 なおかつ、死んだ段階で軍資金たっぷり。

29:名無しさん@お腹いっぱい。
実際合戦は上杉が勝っただろうけど、結局小さな一勝にすぎなかったって事でFA?

30:名無しさん@お腹いっぱい。
合戦とよべるような一方的な殺戮だったでFAかも。

31:名無しさん@お腹いっぱい。
よべないような

32:名無しさん@お腹いっぱい。
前スレ落ちたね

33:名無しさん@お腹いっぱい。
>>32 だいじょうぶ、議論の軸心は保存済み。 前々スレも。

34:名無しさん@お腹いっぱい。
>>25 公記って信長公記だよね

35:名無しさん@お腹いっぱい。
>>34 そうだよ、「信長公記」(天正五年・柴田勝家北国に相働くの事) 「湊川越、阿多賀、富樫ニ放火シ」(安宅や富樫に放火し)の段。 訳書はいろいろと多いが、勝家配下の織田勢が右往左往しながら富樫(現金沢市) まで行軍し、謙信配下の越中・加賀(一向宗)勢に追い払われて手取川を撤退していたところ、 謙信が越後・能登勢を率いて追撃して1000を殲滅。残りは河に流されたという顛末だ。 京都で松永久秀の子息が惨殺される光景を描写していた太田牛一が伝聞でも書けなかった織田の惨敗 反論があれば、よろしこ。www

36:名無しさん@お腹いっぱい。
>>35 おけーわかった 織田はハナから撤退なのに急に上杉が突いてきたのね わずか50にも満たず決着着くとは…あとどうするんだ 手取フィッシュランドでも語るか

37:名無しさん@お腹いっぱい。
>>36 悪いが、織田が逃げ腰のところを謙信が突いた説、すでに2スレを消費しての決着だ。 爾後、御希望の質問には過去スレの議論から詳細に(双方の主張を含めて)返答しまつ。 これにて、一件落着? スマソ・・・orz

38:名無しさん@お腹いっぱい。
倶利伽羅峠の戦いの再来。。ではない

39:名無しさん@お腹いっぱい。
>>35を信じるとしたら、 上杉が強いんじゃなくて、一向一揆が強いってことでは……

40:名無しさん@お腹いっぱい。
>>39 ま、その時期には一向宗の加賀・越中の諸武将も謙信の配下だからね。 越中諸将のほかに瑞泉寺・勝輿寺門下の衆徒も、謙信の「苗字尽し」(関東動員令)にあるし。 その(関東動員令・別に仁科文書)意味では、謙信にとって信長は「単なる敗軍」 と思えたらしいようだな・・・。

41:名無しさん@お腹いっぱい。
ええ〜 まともにやり合ってもないのに…(´・ω・`)

42:名無しさん@お腹いっぱい。
>>41 おまいの質問は、よくワカラソ。 具体性がない弱点は、おそらく自分でもわかるとおり、衆目にも明白だな。

43:名無しさん@お腹いっぱい。
織田軍は、本気で七尾城まで行って闘う気はあったのだろうか。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
>>43 大群で押し寄せれば、城攻めをあきらめて帰るだろうと。 ・・・・で、結論が出てスレ終了、でいいのかな?

45:名無しさん@お腹いっぱい。
上杉に後ろ突かれただけなのになぜ「合戦」なのだ?

46:名無しさん@お腹いっぱい。
戦闘員同士の殺しなんだから合戦じゃなきゃ何よ?

47:名無しさん@お腹いっぱい。
織田に休憩中横突かれただけなのになぜ「合戦」なのだ?

48:名無しさん@お腹いっぱい。
結果「合戦」になったってことか? 不意打ちなのに織田軍惨敗って…なんかカワイソス…じゃね?

49:名無しさん@お腹いっぱい。
織田兵「ま、待て。いまわしら、休憩を終えて河を渡るところ」 上杉兵「うるせぇ、氏ねや!」 織田兵「もう七尾城取ったんだろ? 尾張でいんじゃね?」 上杉兵「ばぁろー! これから合戦じゃ」 織田兵「うぎゃあ・・・」 上杉兵「よぇえなぁー、織田って。ゲラ輪ロス!」

50:名無しさん@お腹いっぱい。
しかし大敗したはずの 織田方の名ある人物は誰も死んでないんだけどね。





51:あぼーん
あぼーん

52:名無しさん@お腹いっぱい。
>織田方の名ある人物は誰も死んでないんだけどね。 川に流されて、名前も残らなかった織田の将兵。あまりにもカワイソす・・・。 「信長公記」の著者も、奮戦の様子を書いてくれなかったし・・・。

53:名無しさん@お腹いっぱい。
>>52 そう考えるよりは 合戦自体が小規模なものだったか、 死んだのは雑兵程度だったと考えるべきだが。 名ある人物が死んだのなら、必ず記録が残るだろうが。

54:名無しさん@お腹いっぱい。
戦死者の記録(名前)が残ってない合戦は少なくないよ。 上杉氏の例でも、永禄9年の臼井城の戦いでは、北条氏の複数の史料(書状) に「輝虎(謙信)が数千の死者を出して敗退」とあるが、死者の氏名はない。 長尾景長の書状に「昼夜を問わず攻めているので、落城は必至」とあるから 合戦そのものは確実な史実で、上杉方が関東の武士に発給した感状も残ってる。 名のある人物が死ななかった(記録にない)からといって、この時の上杉の大敗を 疑問視する史学者がいないのと同様に、手取り川での織田氏の敗戦も否定できない。 それが文献史学の原則だよ。

55:名無しさん@お腹いっぱい。
>>47 桶狭間の義元も休憩中に襲われたのに「桶狭間の戦い」だから、奇襲戦ってことじゃない?

56:名無しさん@お腹いっぱい。
信長マンセーの津本陽も、手取川合戦での織田惨敗は認めてるんだな。 つか、津本は謙信もマンセーしてるからか。 どっちつかずの無節操・・・・。

57:名無しさん@お腹いっぱい。
>>55 休憩中に襲われた云々も今では古い説なんですよ…… 最近の信長関連本を探すかネットでちょっと調べてみて

58:名無しさん@お腹いっぱい。
「不意打ち」とか「休憩中」とか、どんな史料に基づいてるんだ? 夜間戦闘だったからか??

59:名無しさん@お腹いっぱい。
>>45 殴られただけで手を出さなかったからケンカしてないよってかい?w

60:名無しさん@お腹いっぱい。
追撃戦に備えていなかった柴田勝家が悪い。 背後から追撃されたらそりゃ相手の方が兵力が少なくとも負ける。 明治の軍人だったかな。 「戦いで一番高揚するのは一方的な追撃戦。だって殺し放題」 というようなことを言っていたなあ。

61:名無しさん@お腹いっぱい。
【謙信最強は創作】 謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。 武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が 上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。 臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。 ※謙信自身が敗北を認めている書状↓  晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、 併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より 取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、 房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、 とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、 早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと のひ候てきうしくちおしく候(中略)  かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々 いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと 心ほそく候、 永禄七年三月十三日                  虎(花王) [三洲寺社古文書] 【上杉家の歴史】 上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。 奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。 1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。 諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。 原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。 だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。 この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。 上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。 これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。 長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。 臼井城攻撃に失敗した謙信は 信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた 上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。 謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。 謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。 しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。 つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである 本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、 信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。 新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。 景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

62:名無しさん@お腹いっぱい。
>>60 プッ

63:名無しさん@お腹いっぱい。
>賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所 なら「背水の陣」(韓信)だな。 決戦を覚悟で背水の陣を敷いたが、惨敗しちゃったってところか。

64:名無しさん@お腹いっぱい。
織田の負け戦でしょ、定説じゃ。

65:名無しさん@お腹いっぱい。
総大将は信長だ!とデマったことにより士気が鼓舞されたから、どう転んでも勝ちいくさっぽい。。

66:名無しさん@お腹いっぱい。
現存する書状などから見て、確かに合戦自体はあったのは確実。 ただ、負けた織田に大打撃を与えたほどの戦というわけでは無かった て感じじゃないか?

67:名無しさん@お腹いっぱい。
手取川のあと、上杉勢がそれ以上進軍しなかった件について。 戦闘の勝ち負けは、そのまま戦争の勝ち負けではない。 むしろ、謙信急死後の後継者争いの余波とはいえ、 その後、能登、越中を簡単に失い、失地回復が出来なかった点について、焦点を当てるべき。 上杉の外征における「戦争」の弱さと、 織田系武将のしたたかさが浮き彫りになる。 はっきり言って、織田勢にとって、多少兵士の損害が多くても、それを率いる将が逃げおおせれば、 その撤退戦は成功なのである。仮に「戦闘」で大敗しようとも。 なぜなら、大将さえ生きていればすぐにでも新たな兵を動員して勝つまで再戦を繰り返し、 一度勝てばその勝利の戦果を最大限に得るから、それまでに「戦闘」でいくら敗れようと、 最後に勝てばオーライなわけである。

68:名無しさん@お腹いっぱい。
^^

69:名無しさん@お腹いっぱい。
>むしろ、謙信急死後の後継者争いの余波とはいえ、 >その後、能登、越中を簡単に失い、 越中・能登・加賀(手取川以東)平定が天正5年9月。 柴田勝家の加賀侵攻は天正8年、越中魚津城は天正10年6月(本能寺の変) まで陥落せず。が史実なんだが。つまり、上杉が真っ二つに割れ、越後が内戦状態にもかかわらず、 織田(嫡流)は北陸から上杉を駆逐できないまま滅んだ。 >最後に勝てばオーライなわけである 織田嫡流は最後に滅び、上杉嫡流が現在も存続。

70:名無しさん@お腹いっぱい。
>>67 謙信死後のゴタゴタはかなり長引いているし、その流れの中で新発田重家の謀反など 越後はガタガタの状態なのを考慮して、支配して間もない能登、加賀を制圧はさほど 難しくなかったのは事実。ただ、すんなりどちらかへの家督継承が成功したとしたら、 そんなに簡単に能登などは取れなかったのでは?

71:名無しさん@お腹いっぱい。
>>69 あなた、かなり意図的に事象を省いているでしょう。 越後国内が二つに割れた内乱はかなり短期に終結しているのだが。 その後の余波というか残党の掃討や新たな新発田氏の反乱などはあるが、これは 景勝の戦後処理の問題。 で、魚津城が落ちたのは言うとおり天正10年だが、能登は長連龍が、越中は神保 氏張が織田勢力として戦い、天正8年には能登全域、越中の東部を除いた地域が織田 領となっている。その後富山城が越中の豪族に奪われるという失態もあったが。 問題は、この織田の動きに景勝が全く動いていないということ。 ああそれと、天正6年の月岡野の戦いについても少し調べたほうがいいと思うぞ。

72:名無しさん@お腹いっぱい。
>>71 無知ですか? 無知でなければバカですか?? >越後国内が二つに割れた内乱はかなり短期に終結しているのだが。 御館の乱=天正6年3月に勃発〜天正7年3月(上杉景虎自害)〜天正8年7月中郡の栖吉長尾衆を鎮圧 足掛け3年以上にわたって内戦が続いていたということだ。 >その後の余波というか残党の掃討や新たな新発田氏の反乱などはあるが、 >これは景勝の戦後処理の問題。 新発田重家の謀反は天正9年4月(上杉年譜・新潟県史武田勝頼条書)。 これは御館の乱の戦後処理ではなく、織田信長による調略。 >織田の動きに景勝が全く動いていないということ。 越中方面は河田長親(信長が内応を誘うも拒否)と鯵沢長実・須田満親らだから、 景勝が出馬する必要はないだろ。上記のとおり、越後が内戦状態なわけだし。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
何で信長は出馬しなかったのかな? 松永の謀反なんて七尾のあとだし、長島もケリが付いてたのに。 やっぱ、謙信が怖かったのかな?

74:名無しさん@お腹いっぱい。
遊んでたんじゃね?

75:名無しさん@お腹いっぱい。
信長はけっこう出たがりで、金ヶ崎や石山でも陣頭に出過ぎて危険な目にあうほど。 重要性緊急性に応じて自らの出馬を決める。 むしろ陣頭にたたないことが珍しい。 だから謙信が怖いとか怖くないとかは関係なく、自ら出馬する段階ではない、という現状認識だったんだろ。

76:名無しさん@お腹いっぱい。
こんな早く上杉軍が南下してくるとは思わなかったからだろ

77:名無しさん@お腹いっぱい。
いやいや大六天魔王さまが出陣してたら歴史かわってたから。。

78:名無しさん@お腹いっぱい。
大六天魔王=仏敵だから 権大僧正=毘沙門天の生まれ変わり にゃ敵わんというか、恐れて逃げるだろうよ。

79:名無しさん@お腹いっぱい。
>>78 第六天=欲界の最上層。 毘沙門天=欲界の最下層。 じゃなかったか?

80:名無しさん@お腹いっぱい。
第六天=宇佐神宮(弥勒寺)の古書に「仏法修行を邪魔する者」 毘沙門天=多聞天(北方の軍神・商いの神様)

81:名無しさん@お腹いっぱい。
>>80 そうだけど第六天の方が天界より上位。

82:名無しさん
手取川の戦いで、Z武さんは、手を失ったということは、負けた織田のほうだったんだね!

83:名無しさん@お腹いっぱい。
大の信長ビイキの井沢ですら手取川を認めてるというのに、引きこもりニートの おまえらはいつまで意地を張るのか。

84:名無しさん@お腹いっぱい。
否定することがかっこいいと思ってるから。民主党みたいに。

85:名無しさん@お腹いっぱい。
上杉と本願寺の外交戦勝利じゃないの? 織田家の加賀平定はなかなか進んでいなかったから、深入りすれば敵地で戦うことになる。 上杉の戦略は一向一揆に織田の進出を阻止させている間に北条を潰す。 織田包囲網ができていたように、上杉包囲網も続いていたしね。

86:名無しさん@お腹いっぱい。
手取川合戦時点で、加賀南半は織田支配下じゃないか。

87:名無しさん@お腹いっぱい。
>>86 「公記」には、作物を刈り取って御坊塚城に籠城したとある。 籠城してるんだから、支配下とはいえんだろうな。 いっぽう、上杉系の書状・軍令状には「能登・加賀・越前の過半がわが手に入った」 とある。「越前の過半」はさすがに一向宗徒がいるということだろうが。

88:名無しさん@お腹いっぱい。
>>87 篭城してるから支配下でないって意味がわからん。敵地で篭城なんて全滅降服 ルートじゃないか。

89:名無しさん@お腹いっぱい。
>篭城してるから支配下でないって意味がわからん じゃあ、かりに支配下だったとして、 なんで作物を刈り取って篭城なんてするんだろう? やっぱ、支配下じゃねんじゃね??

90:名無しさん@お腹いっぱい。
自分の領地で刈り取りはしないんじゃないか?

91:名無しさん@お腹いっぱい。
自分の領地でも刈り取りするでしょ

92:名無しさん@お腹いっぱい。
兵農分離なのに青田刈りしてたの?

93:名無しさん@お腹いっぱい。
意味がわからんが、篭城の兵糧に、敵に兵糧を渡さないように、城周囲の稲を 刈るというのはやっているぞ。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
当時の加賀・越前東部は一向宗の支配下。 謙信の主力がいったん帰国したから、すぐには攻め立てられないだろうが、 織田としては籠城(作物を刈り取る)することで、一向宗の攻囲に耐えようとしたんじゃねいか?

95:名無しさん@お腹いっぱい。
手取川で合戦はあったのは事実だし、戦闘というレベルでは上杉がわが優勢だったのも確かだ。 すくなくとも、小田川が互角以上に戦ったとか、合戦事態がなかったとか、それこそ、もっと根拠のない話である。 だが、こうも思うのだ。 上杉側は、にもかかわらず、最終的には北陸への影響力を失い、 柴田に代表される小田勢に押し込まれることになった。 手取川で上杉勢が大勝したと言えば言うほど、 その後に織田勢に北陸戦線のイニシアチブをとられたこととのコントラストが 明確に浮かび上がってしまうのだ。 上杉の領国支配がずさんではなかったのか? 領土的野心が無いのではなく、合戦に強くても領土を維持するだけの統治能力に欠けていたのではないか? 結果、関東でも信州でも戦線はどんどん後退し、 そして、越中や能登への影響力もごく短期間で失われたのは、そこに原因があるのではないか、と。 手取川は、まさに、「あだ花」ではなかったか?

96:名無しさん@お腹いっぱい。
>>70 あと越前大虐殺で領民がブルったんだろ

97:名無しさん@お腹いっぱい。
>>95 謙信死後の御館の乱は 本能寺後の甲信越方面織田軍団の崩壊に比べるとわかりやすい。 森が川中島四郡から遁走し、甲斐の川尻は頓死、滝川も北条に一蹴され、 命からがら尾張に逃げ帰る。越中の柴田も戦わずに壊走。 それに比べて、上杉勢はじょじょに後退しているものの、 謙信死後4年間にわたって越中の拠点を維持。統治の問題じゃないだろ。 純粋に軍事的な後退。

98:名無しさん@お腹いっぱい。
>>97 本能寺後の東国情勢についてはそれこそ統治の問題ではないだろう。 なにせ統治を始めて半年もたっていない。

99:名無しさん@お腹いっぱい。
つか、河田長親や須田満親らの越中・能登・加賀在番衆が 御館の乱で越後に引き上げてるのに、なんで柴田は天正8年まで 加賀に攻め込めてないのかが疑問。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
そりゃ、柴田がバカだから。





101:名無しさん@お腹いっぱい。
部将としてはかなり有能だったかもしらんが 一軍の司令官としては無能。 統治能力はあったがな。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
未征服の地を宛がわれて、いざ征服に取り出す場合は、その地の国衆を味方に引き入れて兵力を倍増するのが常套手段である。 しかし約一世紀もの間、一揆もちの国だった加賀で、そうした手段がどれほど可能だっただろうか。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
>>100-101 冗談ですよね?w

104:名無しさん@お腹いっぱい。
柴田勝家がバカだった評価はともかく、秀吉(無断撤兵)との 確執はどうだったのかね? 通説では、上杉との矢面に立たされそうになった 秀吉が必死こいて逃げる口実に喧嘩を吹っかけた?

105:名無しさん@お腹いっぱい。
>>103 織田軍団の中でも最大の兵力と与力を与えられて、謙信存命中は手も足もでず 謙信死後、加賀平定、能登、越中に侵攻。 信長の仇討ちを格下の秀吉に先取りされた挙句、時勢を読めず秀吉と対立し 好き勝手に秀吉に調略されるにまかせた上、劣勢のまま退陣し、配下部将の掌握もできず、 秀吉に惨敗した。

106:名無しさん@お腹いっぱい。
と痴呆老人の秀吉が申しております。

107:名無しさん@お腹いっぱい。
謙信が急死でなくて、ちゃんと世継ぎを決定する手続きを家臣団の前で終えていたら、 謙信死後も織田は上杉に太刀打ちできなかった可能性がありそうやね。

108:名無しさん@お腹いっぱい。
>>107 太刀打ちできないどころか・・・、上杉文書にある謙信と勝頼の密約(義昭御内書)、 景虎に関東管領職を禅譲して北条と再同盟(井上鋭雄説)なら、関東甲信越の大軍勢で 畿内を蹂躙(織田滅亡・足利幕府再興)もありえたんじゃね? その構想を六角堯定が 画策していた説も最近では有力だし。

109:名無しさん@お腹いっぱい。
それを察した信長が刺客を送って謙信を討たせたのかね。 信玄も謙信もみんな信長に都合のいい時に死んでるよなあ。 弟や北畠氏の事もあるし、妄想が止まらないよ。

110:名無しさん@お腹いっぱい。
>それを察した信長が刺客を送って謙信を討たせたのかね。 残念ながら、史料なし。本能寺の変(信長虐殺計画)の明智文書(天正10年6月・景勝宛) ぐらいの信憑性があれば、けっこう面白いんだが。

111:名無しさん@お腹いっぱい。
>>105 謙信存命中に手や足をだしたら馬鹿でしょ。 北陸がどれだけむずかしいかわかるのか。 クソ小説秀吉厨がw

112:名無しさん@お腹いっぱい。
「信長公記」に書かれてないことは、すべて軍記物による捏造

113:名無しさん@お腹いっぱい。
>>110 『覚上公御書集』に残されている河隅忠清書状ね? 「須田相模守方より食使うの者罷り越し、才覚申す分は、明智の所より魚津まで吏者 指し越し、御当方無二の御馳走申し上ぐべき由、申す事候と承り候、実儀候はば、定て須 田方より直ニ吏ヲ上げ申さるべき候……」 訳文「須田満親から来た召使の者が言うには、明智光秀から魚津まで使者が来て、 上杉家においても最大限の協力をするべきだとのことです。 これが本当のことなら、須田から直に使者を送るようにさせましょう」 この書状が6月2日付けだから、光秀が5月中旬には上杉方に使者を 発したというのがミソ。魚津城が本能寺の翌日まで持ちこたえたのも 光秀からの「信長を殺すんで、そちらもよろしこ」があったからとされる 一次史料、とされている。この史料をそう考えると、柴田勝家のモタモタぶりが 情けないねぇ。勝家の北陸でのモタモタが信長暗殺計画を成就させたともいえる わけで。けっきょく、織田の北陸平定戦が信長の首を絞めたともいえる。 スレタイにもどれば、手取り川合戦こそが織田滅亡の引き金?

114:名無しさん@お腹いっぱい。
関東出兵が謙信にとって仇となったように、 北陸出兵が信長、特に柴田にとっては仇になったんだろうかね。 ナポレオンのロシア侵攻とかと一緒。

115:名無しさん@お腹いっぱい。
保守

116:名無しさん@お腹いっぱい。
>>108 六角尭定って、六角義弼(義治)のことでおk?

117:名無しさん@お腹いっぱい。
>>116 http://blog.sasakitoru.com/200504/article_20.html/

118:名無しさん@お腹いっぱい。
撤退中の千人くらいの死者ってことは、殿ががんばって時間稼いで 本体は無事だったてことじゃないの? その後大幅な組織改正とか聞かないし。

119:名無しさん@お腹いっぱい。
織田(柴田)が北陸平定で苦労したのは一揆衆だろw 一揆衆>>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>>上杉

120:名無しさん@お腹いっぱい。
一揆があるから負けられないのかな。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
>>105 このスレの傾向だけど、あまりにも片方への贔屓が強すぎるよ。 そんな風に言うなら謙信だって、戦闘で強くても戦略的には大した得もとれず、 ものすごい大軍を率いたにも関わらず北条を落とせず、戦争で勝ったのに領地をえられない無駄な戦をしたり、 礼儀しらずの勘違いで変な恨みを買って離反されたり、 アル中で、子作りしないから跡継ぎ争いの火種を生み、人身売買しまくりで、 織田と戦うという滅茶苦茶大きな決断しときながら本格的にやりあう前に死亡し、 それを結果的に配下達に丸投げしちう形になっちゃって、結局駄目駄目な結果に、という酷い大名だぞ。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
織田と戦うという滅茶苦茶大きな決断しときながら本格的にやりあう前に死亡し、 それを結果的に配下達に丸投げしちう形になっちゃって、結局駄目駄目な結果に、という酷い大名だぞ。 ここだけ丸々信玄坊主に使えるなw

123:名無しさん@お腹いっぱい。
>>121 んー、君が言ってる事の大半が後世の作り話しなんだけどね。 あと2chで流れたデマも信じてるみたいね。

124:名無しさん@お腹いっぱい。
謙信存命中は手を出さなかったんだよ。 つか時勢が読めないっていうけど家臣にでもなれば良かったのか?

125:名無しさん@お腹いっぱい。
一向宗掃討でそれどころじゃなかったと思う

126:名無しさん@お腹いっぱい。
>>123 子ども作ってないのも北条を落とせなかったのも、織田と戦いはじめてから死んだのも全部事実だろうが。 何が大半だよボケ。

127:名無しさん@お腹いっぱい。
手取川合戦て具体的にはどの辺でやったの? 白山市在住なのだが、古戦場なんてのは聞いた事ない

128:名無しさん@お腹いっぱい。
>>121は どの辺りが正確ではないの? 一方向から見てはいるがあながち間違ってない様に見えるから 事実なら確かに俺は毒されてるな。 純粋に聞きたい。

129:名無しさん@お腹いっぱい。
手取川の戦は、まああったにゃあったんだろうけど、 とりあえず大した意味のある戦ではなかったんだろう。

130:名無しさん@お腹いっぱい。
「須田相模守方より食使うの者罷り越し、才覚申す分は、明智の所より魚津まで吏者 指し越し、御当方無二の御馳走申し上ぐべき由、申す事候と承り候、実儀候はば、定て須 田方より直ニ吏ヲ上げ申さるべき候……」 訳文「須田満親から来た召使の者が言うには、明智光秀から魚津まで使者が来て、 上杉家においても最大限の協力をするべきだとのことです。 これが本当のことなら、須田から直に使者を送るようにさせましょう」 この書状が6月2日付けだから、光秀が5月中旬には上杉方に使者を 発したというのがミソ。魚津城が本能寺の翌日まで持ちこたえたのも 光秀からの「信長を殺すんで、そちらもよろしこ」があったからとされる 一次史料、とされている。この史料をそう考えると、柴田勝家のモタモタぶりが 情けないねぇ。勝家の北陸でのモタモタが信長暗殺計画を成就させたともいえる わけで。けっきょく、織田の北陸平定戦が信長の首を絞めたともいえる。 スレタイにもどれば、手取り川合戦こそが織田滅亡の引き金?

131:名無しさん@お腹いっぱい。
一次史料、とされている。どの史料。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
>>114 あほ? 滅ぼされる寸前の上杉が言うことではない。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
ようするに、織田は上杉に滅ぼされたわけか

134:名無しさん@お腹いっぱい。
太平洋戦争で実は日本はアメリカに勝っていたんだよ、見方によっては! とか真剣にぬかす馬鹿な知り合いの話ぐらい、苦しい。

135:名無しさん@お腹いっぱい。
日本が太平洋戦争で負けたのは史実、織田嫡流が滅亡したのも史実

136:名無しさん@お腹いっぱい。
上杉謙信>柴田勝家 を証明した戦い。 でもそれだけ。 せめて信長か秀吉が参加してればもっと、 意義があったかもしれないが。

137:名無しさん@お腹いっぱい。
その論法でいくと 上杉は北条に勝てず北条は秀吉にやられて徳川も外交政策で従って徳川も秀吉も信長の手中にあったわけだから、 信長>秀吉>家康>氏康>謙信>勝家という具合になってしまふ… それぞれの間にはまだ色んな奴が入るだろうけど。

138:名無しさん@お腹いっぱい。
ここで新説を唱えてみる。実は謙信を殺したのは景勝と直江が共謀して殺したんだよ

139:名無しさん@お腹いっぱい。
>>135 それは光秀によって、だろ その理由を無理に上杉にもっていくことはない。 風が吹けば桶屋が儲かる、ばりだぞ。

140:名無しさん@お腹いっぱい。
何にしても、柴田がグズグズと北陸を平定できず、羽柴がノロノロと中国平定に 手間取っている間に、織田信長謀殺の大包囲網が出来てたわけだ。 で、バカ殿は見事に殺されたわけだ。 織田宗家滅亡の最大の戦犯は、手取川で上杉に負けた柴田だと思うがね。

141:名無しさん@お腹いっぱい。
合戦が無かった

142:名無しさん@お腹いっぱい。
柴田一人じゃないしな 戦術的にも織田の大敗だけど戦略的にも信長の失敗だったよ 謙信と矛を交えるなら、中国四国をほったらかして、 織田全軍を上げて戦うくらいでないと勝負にならん

143:名無しさん@お腹いっぱい。
謙信>信玄>氏康>信長>家康>>>秀吉 まあこんなもんだな

144:名無しさん@お腹いっぱい。
>>142 羽柴秀吉が参加していたのを知らんの?途中帰国したのは秀吉の身勝手。

145:名無しさん@お腹いっぱい。
信長では謙信に勝てないってことだな

146:名無しさん@お腹いっぱい。
信長が謙信をなめていたように思う。

147:名無しさん@お腹いっぱい。
それはない 信長は謙信を恐れてた

148:名無しさん@お腹いっぱい。
謙信=信玄>家康>秀吉>光秀>信長 川中島の戦 三方が原の戦 小牧長久手の戦 山崎の戦 本能寺の変

149:名無しさん@お腹いっぱい。
結局、織田との利害対立が決定的になる前に死んだからな謙信は。 最後の出陣準備も近年は関東へのものだったという説が有力。

150:名無しさん@お腹いっぱい。
信長は謙信のpご機嫌を取るために数々の贈り物をしているな





151:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>150信長は謙信にどういった物を譲ったのですか?

152:名無し議論スレにて投票方法審議中
赤地牡丹唐草文様ビロード洋套(重要文化財)

153:名無し議論スレにて投票方法審議中
国宝 洛中洛外図屏風(狩野永徳)

154:名無し議論スレにて投票方法審議中
質問ばかりですみません。 謙信は信長から贈り物をもらってどんな反応をしたのか分かりますか?

155:名無し議論スレにて投票方法審議中
信長も謙信もヤンキー趣味そうだからもらったものは喜んだんじゃないか?

156:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>154 「上杉本洛中洛外図屏風の謎を読む」(黒田日出男、岩波新書)には、 「管領(謙信)大いに喜び、返書を…」と「謙信御書集」の平文(原史料ではない) にあるらしい。「上杉年譜」では、これが天正二年の記述。能登攻めが天正四年〜 だから、まだ両者の関係が良好だった時期だな。 ちなみに、同図屏風は足利義輝が描かせたものを、信長が本来の受け取り手 である謙信に贈ったとするのが真相だろう。将軍府の陣幕に六角氏の家紋が見えるし。

157:名無し議論スレにて投票方法審議中
謙信は戦国屈指の名刀収集家でもあった

158:名無し議論スレにて投票方法審議中
てか信長が謙信を恐れたというのを否定している人がいるが 準備が整うまでわざわざ敵を増やしたい奴はいないだろ それも名の通った戦歴豊かな上杉家なら尚の事 オレはどちらかと言えば織田よりだが否定する意味が解らん

159:名無し議論スレにて投票方法審議中
同意。

160:名無し議論スレにて投票方法審議中
「どう恐れていたか」で否定しているんだと思うが。 自分も信玄謙信に対して恐れがあっと思うが、それは勝つための準備が整っていない 時期に敵対することになる状況を恐れていたのだと思う。 ところが信者は信玄謙信の存在自体を恐れていたように語る。

161:名無し議論スレにて投票方法審議中
いやあ、実際恐れてたよ。 圧倒的な国力差があっても生前戦うことは常に避けてきたからね。 実際それほどの戦上手だったということさ。

162:名無し議論スレにて投票方法審議中
武田上杉を相手にすることによって無駄に生じる 時間の浪費を恐れただけでは?

163:名無し議論スレにて投票方法審議中
信長は馬鹿じゃないよ。 手ごわい相手にファイトを燃やすような真似はしない。 だからと言って能力が 信玄、謙信>信長というわけじゃない。 実際、この二人が死ぬと武田は一蹴、上杉も風前の灯火に追い込んでるんだから 信長の戦略は間違いじゃなかった。

164:名無し議論スレにて投票方法審議中
戦略がどうのというよりも、油断こいて家来に殺されたバカ殿なんだが・・・・

165:名無し議論スレにて投票方法審議中
ロクに子供も作らず便所で無責任に死に、後継者問題で家が荒れたアホはどうしたら良いの? 人身売買の好きな外道は。

166:名無し議論スレにて投票方法審議中
1万石の小大名にまで落ちた織田家よりマシw

167:名無し議論スレにて投票方法審議中
いや、織田嫡流は滅亡したんだよ。 大名家として、なくなったんだ!

168:名無し議論スレにて投票方法審議中
便所で死ぬのだけは勘弁w すげー痛い軍神だなwww

169:名無し議論スレにて投票方法審議中
いつものアンチか わかりやすい

170:名無し議論スレにて投票方法審議中
この戦いは 織田VS上杉 というより 秀吉VS柴田の因縁として語られることが多いね。 さすがに柴田の一人相撲みたいな書き方は可哀想だが。

171:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>164 身近な人間に殺される=馬鹿じゃないよ。 そんなこと言ったら世界史に残るあの大英雄、カエサルですら馬鹿になってしまう。

172:名無し議論スレにて投票方法審議中
柴田も戦線崩壊させた訳でも無いのに 秀吉、謙信厨の両方から堕されすぎ。

173:名無し議論スレにて投票方法審議中
負けは負けだからな。敵より弱かっただけの話。

174:名無し議論スレにて投票方法審議中
いつもの厨か。アホすぎるw

175:名無し議論スレにて投票方法審議中
アンチはアホすぎるよな 結果がすべてだわw 謙信>>>>>>>>>>>>>信長

176:名無し議論スレにて投票方法審議中
孤影のゲームばっかしてるとこんなにアホになるのか謙信厨。 痛すぎるだろ。

177:名無し議論スレにて投票方法審議中
織田氏は大和、丹波、上野などに信雄流と長益流が残り、とくに上野安中は大広間、国主格であり 一方の上杉氏も米沢に残り大広間、国主格である。またともに分家が高家

178:名無し議論スレにて投票方法審議中
大国に成長した織田家が主力で負けた唯一の合戦。 なにも精強の越後勢とあんな北陸の隘路で合戦する必要はない。 謙信南下の知らせにウロった信長の判断ミス。 せめて越前平野辺りで大聖寺城と連携して布陣すればよかったのに。 実際、合戦という程をほどこしていなかったと思われるが 死者のほとんどが手取川に追い落とされてということで織田軍が上杉軍に いかにビビっていたかがよくわかる。

179:名無し議論スレにて投票方法審議中
手取川に至るまでに、謙信は一向一揆と和解しているのだが… じゃあ、それまでの激烈な対立は何だったのだろう? もっと早く和解するなりとりこむなりしていれば、信玄・信長 とももっと早く上手く戦えたのに、と君臣ともに茫然としたのでは。

180:名無し議論スレにて投票方法審議中
>それまでの激烈な対立は何だったのだろう? 本願寺とは本誓寺(義叔父の高梨政頼が大旦那)を通じて、永禄初期に和睦してるよ。 二度にわたる上洛も一向宗との約定が成立していたから。 ただし、越中を争う神保や椎名が一向宗と一味して互いに争闘し、武田とも結ぶ情勢になって越中平定は泥沼化。 天正二年に本願寺から謙信に対して和睦の申し出があるも、越中の一向宗徒は勝手に上杉方の国人を攻撃。 天正四年になって、対織田戦で攻守同盟が成立。越中の一向宗が敵対したという意味では、 武田信玄(顕如の義兄)の画策が大きかったというべきだろうな。信玄の勧めで、 対上杉戦で北条氏康も早雲いらいの一向宗禁止を撤廃したわけだし。

181:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>179 結局周囲の情勢じゃないの? 父は一向宗にやられてるわけだし、割拠し とる頃の対立は自然。信長の一人勝ちが見えてくると結束する。 信玄だって口利いてやる。仮に信玄が生きて、信長が死んで、大きな敵が なくなればまだゴチャゴチャし出すんだよw

182:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>178 おまえが史料にもあたらずに講談小説のたぐいを鵜呑みにしているのはよくわかった

183:人間七七四年
少なくとも謙信の戦歴より信長の戦歴のが軍神にふさわしい

184:人間七七四年
桶狭間とおなじで情報戦での勝利だな。 川中島とならんで越軍の神出鬼没性の証左。 だが同盟軍との整合性を求められると陰っちゃう。

185:人間七七四年
あげ

186:人間七七四年
この戦いの後、敗戦の影響って織田軍にあったの? あんまり聞かないからごく小規模な戦いで上杉が圧倒したってだけじゃなねーの

187:人間七七四年
秀吉が中国行った

188:人間七七四年
>>47 織田軍の油断だろう。 加賀という敵地(織田家の力があまり及んでいない地域)に進軍しながら、油断していた。

189:人間七七四年
上杉方にしても見知らぬ土地だぞ、加賀は 油断も糞もない 織田方も上杉方も条件は一緒だ 情報戦で遅れを取った織田方が負けだ それと源平の戦いで富士川の合戦というものがある これも戦闘はほとんど行われなかったが歴史書では合戦扱いになっている

190:人間七七四年
油断はあったかもしれんが、環境は違いすぎる。 当時の加賀一向宗は謙信の味方をしていた。これだけで諜報活動に差が生じるのは当然。

191:人間七七四年
記録というか言い伝えでは織田軍の兵の方が多かったはずだろ? いくら撤退中の最中で不意打ちを喰らったとはいえいろんの事を想定して撤退していれば無様な負けはなかったろう。 例えば三方ヶ原の戦いでの武田軍が良い例。 家康がスルーしようが仕掛けてこようがどっちに動こうとも臨機応変に動ける様にしていた信玄は大将たる器だよ。 それと比較すると柴田勝家は凡将といわざるを得ない。 一部の言い伝えでは手取川の合戦に信長自身も参戦していてあまりの恐ろしさに戦線から逃亡したともいわれてるな。 もっともこの戦いに信長がいたというのは現時点では可能性が低いけどな。

192:人間七七四年
秀吉も勝家も処断されてないのでそれは有り得る話。

193:人間七七四年
そもそも柴田は、上杉と戦うために出陣したんだろ。 いくら撤収したからとって、上杉に追撃される可能性ぐらい大将なら考えるもんだが。

194:人間七七四年
上杉が来てるんで出なおしたんだろうよ 上杉と戦ったのだって先行した威力偵察とみていいだろうな

195:人間七七四年
>>194 能登七尾城を囲む上杉軍と戦うためだろ

196:人間七七四年
( ;ω;)軍神恐いお

197:人間七七四年
でも信長にしてみれば、遠征して戦うくらいなら絵でも刀剣でも贈るから大人しくしていてくれ って程度だと思うよ 織田家が畿内を磐石にさえすれば、その後はどうにでもなる。 この辺は武田家も似たような感じかもね。ただ信玄の方が現実的な人間だったようなので衝突が早まった。

198:人間七七四年
さらしage

199:人間七七四年
上がってね・・・・汗

200:人間七七四年
信玄や氏康が恐れていたゆういつの相手謙信 信長が姿拝むだけで逃げ出したのはいたしかたないな





201:人間七七四年
やっぱ上杉軍は強いな。

202:人間七七四年
織田が七尾城の後詰に向かって、七尾城落城、松永挙兵で戦わず撤退。 上杉軍が撤退する織田軍の尻尾掴んだ。 (細かい数はともかくとして)織田方に被害が出た。 一方で織田武将は特に死ぬことも無かった。 結局、上杉厨が謙信マンセーしたり、織田厨が必死に誤魔化すような重要な戦いじゃない 地味〜な局地戦じゃん

203:人間七七四年
500 名前:某研究者[] 投稿日:2007/03/20(火) 21:43:20 ID:AdzoAUug >長柄槍・・・長さは3間(約5.4m)の物が主流だが、織田家では3間半(約6.3m)上杉家や北条家では2間半 >     (約45.m)の長槍を使っている。 >      兵の弱い家ほど接近戦を嫌い、柄を長くした槍を使っているようだ。

204:仙台藩百姓
45mの長槍(;^ω^)

205:人間七七四年
NHKその時歴史が動いた  謙信恐るべし 〜上杉謙信 信長が恐れた戦略家〜(仮) 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合 武田信玄の宿敵である上杉謙信が、武田を完膚なきまでに叩いた織田軍に鉄槌を食らわせる。 その時歴史は動いていないが、上杉謙信が織田信長の大軍を一蹴した手取川の戦いをお送りします。

206:人間七七四年
>>205 誇大広告だな 謙信公マンセェー、織田厨歯軋りな内容になりそう

207:人間七七四年
NHKも完全に歴史バラエティ路線になってきたからな

208:人間七七四年
いよいよ来週か、織田の大軍が謙信に軽ーく殲滅されるNHK実況レポートは。

209:人間七七四年
せいぜい兵力3万とかの世界の上杉家が約20万の兵力を持つ織田家を滅ぼせるわけないだろ 常識的に考えて…

210:人間七七四年
>>209 脳内、乙

211:人間七七四年
>>208 殲滅か。そのくらいの勢いで言いそうだなNHK。 こんだけ資料少ないのに番組なんか作れるのかね

212:人間七七四年
>>209 でも、織田は逃げたなー。唄まで作られて ただ、織田の逃げっぷりの良さは判断的にはすばらしい。 金ヶ崎の退き陣がかぶる。 ガチにやってたら織田方大敗北、織田家自身を危うくしただろうな。 織田にとっては結果オーライだよ。

213:人間七七四年
まあ、局地戦で一回負けたぐらいでは織田家は滅びないけどな。 武田と一緒にしてもらっては困る

214:人間七七四年
>>202 織田家の同盟国である能登一国が陥落したという意味では大きいのでは。 北陸の織田戦線は大きく後退した。

215:人間七七四年
信長さえ殺せば織田は崩壊だったんだろうな、本能寺の史実どおりに。 信長は伊達をつうじて本庄を謀反させることに失敗したし、 ぎゃくに秀吉が無断で戦線離脱。畿内も松永謀反で相当な窮地だったし。

216:人間七七四年
信忠まで死んだのが問題なんだよ

217:人間七七四年
NHKの予告「謙信と信長の最初で最後の決戦」 やっぱり手取川の戦いだ♪ NHKその時歴史が動いた  謙信恐るべし 〜上杉謙信 信長が恐れた戦略家〜(仮) 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合

218:人間七七四年
連投、スマソ 第283回 謙信 恐るべし 放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合 番 組 内 容 越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。 しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、 助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと 特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。この謙信を恐れたのが織田信長だった。 信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。 そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。 しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。 謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。 そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。 謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、 織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。 ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。 信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。

219:人間七七四年
>謙信と信長の最初で最後の決戦 >謙信の戦は決して私欲からではなかった ・・・

220:人間七七四年
NHKも捏造w

221:人間七七四年
>>218 >謙信の戦は決して私欲からではなかった この辺はさすがにキモすぎるw 謙信は有能な領主ではあるけど、農繁期狙って略奪まがいの出兵を繰り返してる ごく戦国大名らしい大名じゃん

222:人間七七四年
>そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。 >謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、 >織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。 手取川のあの書状からここまで想像(妄想)できるNHKは天才w

223:人間七七四年
千余人を討ち取った

224:人間七七四年
本当にこの番組は納豆ダイエットの様に大げさな表現を用いるよなぁ タイトルがタイトルだから仕方ないか 何年か前は天皇がアンパン食った日を 歴史が動いたとかホザいていたし

225:人間七七四年
NHK、おもいっきり捏造じゃねえかwwww

226:人間七七四年
>>1の原文を平文に直訳してみろやww わかったふうな口を利いて、できんかったら笑いものやぞww 知ったかがこのスレに出入りするのは、おおよそ10年早いな(爆 一次史料による手取川合戦の顛末は、本朝公共放送が承認するとおり、 国民的合意じゃ。と、挑発してみる。

227:人間七七四年
わかんないから>>226が訳して下さい そこまで自信あるんなら一字一句違わず訳せるでしょ?

228:人間七七四年
あたりまえだろバカが

229:人間七七四年
>>2に訳文(現代文)があるから嫁。

230:人間七七四年
第283回 謙信儲 恐るべし 放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合 番 組 内 容 越後の龍・上杉謙信。何度も関東に出兵しながら何の成果も残せてないある意味天才である。 略奪と人身売買が得意な彼は、戦国乱世に託けて他国を蹂躙することを本気で志す、 その一方で、家臣に反乱を起こされまくり越後の国力を消耗させた。この謙信を恐れたのが織田信長だった(笑) 政治力の無さから一向一揆を起こされまくり、鎮圧虐殺に忙殺され跡取りも指名せずに 便所で死んだ謙信。そこには先見性の無さが透けて見える。 謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる(盟主・・・?) そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦(笑)を繰り広げる。 謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊(笑)を完全に封じ込め、 織田軍の精鋭部隊(笑)を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地(笑)に追いつめた。 ところが謙信は その直後にアル中で死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。 捏造軍神、上杉謙信の知られざる実像に迫る。

231:人間七七四年
数で勝る織田軍はどうして逃げちゃったのデツカ?

232:人間七七四年
>>227 昨日、近所の手取り川行ったんです。手取り川。 そしたらなんか上杉勢がめちゃくちゃいっぱいで退却できないんです。 で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、毘とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、七尾城陥落如きで普段来てない手取り川に来てんじゃねーよ、ボケが。 七尾城陥落だよ、七尾城陥落。 なんか郎党連れとかもいるし。一族総出で手取り川か。おめでてーな。 よーしそれがし織田勢討ち取っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。 お前らな、能登やるから手取り川から出てけと。 手取り川ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 流されてる奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、 溺れるか討たれるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。 で、やっと渡れたかと思ったら、岸の奴が、千人余討ち取り、とか言ってんのよ。 あのな、千人余討ち取りなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔してなにが、千人余討ち取りで、だよ。 貴様はほんとに千人余討ち取ったのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。 貴様、千人余討ち取りって言いたいだけちゃうんかと。 渡河退却通の俺から言わせてもらえば今、渡河退却通の間での流行はやっぱり、 洪水、これだね。洪水で流されてアボン。これが通の逃げ方。 でもこれをやると次からアンチにマークされるとゆう危険が伴う、諸刃の刃。 素人にはお勧めできない。まあ貴様らド素人は、関東で略奪でもしてなさいってことだよ。 おやすみ

233:人間七七四年
謙信 病死 信玄 病死 元就 病死 家康 病死 秀吉 病死 信長 横死 うそ?名将だよね?んな間抜けな死に方してないよね?え、ほんと?

234:人間七七四年
池上遼一の漫画 信長 で手取川と謙信の鉄砲封じが描かれていたな

235:人間七七四年
>>233 カエサルや大久保利通も横死なんだぜ? 歴史上で横死した偉大な人物なんて数え切れない程いますが?

236:人間七七四年
わんさかわんさかやって来た織田の主力は謙信にビビって溺死www 数頼みの織田なんかこんなもん。今まで運がよかっただけ。 信長の最後が全てを物語っている。

237:人間七七四年
武田は北条相手にビビって溺死しまくりだけどな

238:人間七七四年
>>232 長連龍が安土城へ行って、援軍を求めたのが発端。 信長は承諾して、柴田・丹羽・滝川・羽柴などの大軍を差し向けた。 織田軍は、能登七尾城目指して加賀へ入った。 加賀は当時、織田家にとって敵地。喧嘩を仕掛けたのは織田軍。

239:人間七七四年
吉野家改変コピヘにマジレスする>>238

240:人間七七四年
まあ、釈迦萌えの念仏唱える純真な女子供強姦至詩さすのがモチべーの軍隊だからな、そんなの蹴散らかしたからって軍神ってW by北条厨

241:人間七七四年
>>235 誰とはいわないけど、自業自得の横死は恥ずかしいよw

242:人間七七四年
織田無能を証明した

243:人間七七四年
上杉の無能さも攻め取った領土維持出来ない時点で証明されてるけどね

244:人間七七四年
>>241酒の飲みすぎでぶっ倒れてポックリ逝ったのも(ry

245:人間七七四年
>>238はガチ

246:人間七七四年
織田無道

247:人間七七四年
戦略的敗北(救援失敗)→戦術的敗北(手取り川)なんだから、手取り川なんかより 信長が謙信に戦略的な敗北をしたことの方が100倍重要 戦略が糞とか言われ続けた謙信の唯一の完璧な戦略的勝利なのに、 謙信信者共はあんまりここには触れないのは何でなんだぜ? 信者的にも謙信=戦略が糞でFAって感じで、戦略は諦めて戦術に縋ってるから視えないのか?

248:人間七七四年
目の前の一戦に負けじと心懸けているだけです。 疫病等が重なりたまたまはやく落ちたため、救援軍を迎え撃ったまで。 救援が間に合えば普通に国境まで引いただろう。 別段戦略というほどのことではない。 その場々臨機応変に対応するのが戦上手といわれる所以なのだよ。 そこが魅力でもあるので敢えてツッコマないのだ。

249:人間七七四年
その時歴史が動いた 上杉謙信・信長が最も恐れた男

250:人間七七四年
>>247 いや、信長を恐れさせた戦略というのだから。 謙信の最後の遠征計画は関東だから、三郎景虎の関東管領就任式を 北条氏の了解のもとに行ない。謙信が上杉景虎・北条氏政・武田勝頼・上杉景勝らを率いて 東海道を上洛する大戦略があった。とかいう大法螺をNHKにやって欲しいと思っている。 この大戦略なら、信長もマジで降伏したんじゃね?





251:人間七七四年
柴田謙信かっこええ〜〜〜〜!!!!

252:人間七七四年
大法螺になってたw謙信@NHK

253:人間七七四年
今までは長らく織田信長が好きだったが NHK「その時歴史が動いた」を見てファンになった。 謙信は男としてカッコよすぎる!

254:人間七七四年
すさまじいね。敵の作戦を完全に封し、完勝。 信長も降参ですか。 戦だけといわれていたがきちんと政策もうまかった。 惜しい男を無くしたね。

255:人間七七四年
信玄:第二次信長包囲網の要、織田軍に完勝、足利援護の上洛前に病死 謙信:第三次信長包囲網の要、織田軍に完勝、足利援護の上洛前脳卒中死 慶事も慶事が立て続けに起こる信長の悪運、家康も顔負け

256:人間七七四年
みのもんたが司会やっていた特番では、信長が暗殺したと定義付けしていたけどな

257:人間七七四年
関が原の上杉景勝に謙信並みの軍才あれば 西軍の勝利だったろう 関東に南下して家康の本隊と決戦 戦力比 10万対2万ぐらいでも勝ちそう

258:人間七七四年
>>255 一次包囲網って何でしたっけ?

259:人間七七四年
>>256 あの番組でも、信長は弱すぎて謙信に勝てない説(杉山光男氏)だったな。

260:人間七七四年
>>258 三好三人衆−朝倉−顕如に浅井を加えたものでは?(1570年のいわゆる江濃越一和の和睦で終了)

261:人間七七四年
>>256 ウワ、司会者考えればいいのに。真偽は知らんが、もう絶対 インチキ説と思っちゃうジャンw

262:人間七七四年
あれって捏造になるんじゃないの 私利私欲のために塩を武田に売ったり人身売買をやってたじゃんw

263:人間七七四年
聖女謙信ちゃん

264:人間七七四年
>>262 おまいの考え方だと歴史上の人物はもとより現代の人間も全て捏造になるわけだが。 多かれ少なかれどんな人物も良い方でも悪い方でも誇張されるもの。

265:人間七七四年
6万の兵力で上洛って・・・ 越後、越中あわせても100万石届かんだろうに

266:人間七七四年
それは凡人の考え方

267:人間七七四年
手取川の合戦のあと、信長が「織田は西国、上杉は東国を治めてはどうでしょうか」と 文を送ったのって史実? 昨日のNHK特集でやってたけど

268:人間七七四年
6万って数字どっからでてきたの? 当時の動員能力は多く見積もっても3万まででしょう。 意見いろいろあると思いますけど。

269:人間七七四年
あの番組は平気で江戸時代の軍記物を引用したりするから あまり信用しないように。 前の川中島のも酷かった。

270:人間七七四年
>6万って数字どっからでてきたの? 天正6年の苗字尽に83将(寺社含む)の名前。 越後・出羽・越中・能登・加賀・西上野 これに関東勢の常陸(佐竹)と上総(里見)らを加えれば、楽に6万。 永禄3年関東幕注文の250将11万5千の実績を考えれば妥当だろう。

271:人間七七四年
北条と同盟を結んだおかげでぶち切れた佐竹をも入れた数字だったのか? ゲスト誰よ?

272:人間七七四年
関東幕注文て関東管領の謙信影響下の名簿みたいなもんで 上杉家軍役張なんかとは性質が違うし、イコール西上軍の動員数にはとうていならない。 合戦時の可能動員数は、越後、越中、出羽・上野の一部、能登の降兵 程度で構成が適切に思う。当然、それぞれ留守も置かないといけないし。 関東諸将からの援軍は状況下無理だろう。 そうするとやっぱり3万程度だったのではと推測する。

273:人間七七四年
佐竹がどれだけ織田を危機視してたかによっては援兵もあり得る

274:人間七七四年
佐竹は織田よりも目の前の北条 それ所ではない

275:人間七七四年
信長信者が暴れてるから助けて(>_<。) ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1162691028/l50

276:人間七七四年
ある時は信玄、ある時は謙信と信長の二枚舌には感心するね。 天下をつかみかけてたのもわかる。

277:人間七七四年
加賀・越中・能登の一向宗や地侍・国人も参加するから6万なんて余裕。 しかも命知らずの強兵。

278:人間七七四年
加賀・越中・能登の一向宗や地侍・国人は手弁当?そうじゃないでしょ 兵站は上杉が請け負うの? 6万の兵を動かせるだけの財力あるかな

279:人間七七四年
手弁当でしょ。現地で戦争してるわけだから。勝ったら主たる者に なんかあげたりはするかしんないけど。

280:人間七七四年
>>247 戦略が糞なんじゃないよ。他人の領地を奪うという意識がなかったから、戦略的成功 という概念そのものがなかった。人助けの発想だから、信玄・氏康の2正面を相手に 闘ってたわけだしな。領地や天下うんぬんが問題なら信玄・氏康どっちかと上手くやっときゃ、 領土なんてウナギ昇りだったと思うよ。 対信長戦では、相手が巨大すぎたんで、謙信も始めて他国を領國化するという発想を 持ったんだろう。 

281:人間七七四年
>6万の兵を動かせるだけの財力あるかな 「経済力でも軍事力でも信長は謙信にかなわない」(NHK)つぅレベルなんだから 問題なしじゃまいか? >他人の領地を奪うという意識がなかったから もともと関東管領は、関東諸大名・関東諸武将の庇護者(調停役)だね。 信長の横暴(将軍家を蔑ろに)に憤った謙信が本気で領地を拡大(信長に対抗)した のが天正4年〜5年の二年間。越中平定、能登併呑、加賀制圧。あまりにも凄すぎじゃまいか。

282:人間七七四年
>>278 財力はあったと思うよ。 上杉謙信は、かなりの蓄財上手で死後春日山城には、 小判で27000両も蓄えられていたからね。

283:人間七七四年
一両の価値がわからんから凄いのか凄くないのかわからん

284:人間七七四年
義に厚い武将のくせに北条が同盟上杉に助けを求めても援軍出さなかったことに触れなかったね

285:人間七七四年
そもそも北条と同盟を結んだ時点で義もくそもあるか。

286:人間七七四年
関東三国志とも言われる武田、上杉、北条はやはり強かったと思う。 でも関東で潰しあいすぎて時間を無駄にして結局三者とも馬鹿を見たね。

287:人間七七四年
光栄さん!謙信は戦闘だけの武将では無いですよ! 内政も天才的だし、外交も巧かった 問題は、信仰心による部分であって

288:人間七七四年
>>283 謙信の残した遺産の内、銭27,140両 (1570年代で、銭1両=現在価値12万円=米3石=金1枚=銀2枚=黄金0.1枚) 27,140両=32億5680万円=8万1420石=金2262枚=銀4523枚=黄金227枚 くらいの蓄えがあったことになる。 (この時代の1万石辺りの最大動員数は、250人前後(予備役含む)) (他国への戦争で動員する場合は、1万石辺り80人前後で概算される) 謙信時代の最大石高を100万石〜120万石として、動員数8000〜9600人(最大2万5千人〜3万人)程度 一向宗や周辺豪族の強力を取り付ければ、 NHKみたいに上洛で6万人くらい動員しててもおかしくはない

289:人間七七四年
ただし、、、、、 上杉軍の軍費の多くは、”通商から上納される利益で賄(まかな)われていた”というから、 上方との海運通商で100万石相当の利益が有ったんだろう

290:人間七七四年
>義に厚い武将のくせに北条が同盟上杉に助けを求めても援軍出さなかったことに触れなかったね 相越同盟が軌道に乗らなかった(関東上杉領の返還など)のは、甲越和与(義昭御内書による) があったからだとされるのが最新の研究。やはり謙信の「義」だったようだ。

291:人間七七四年
まあ、息子送っておきながら腹黒い付き合いしかしなけりゃ天然の謙信でも怒るわな。

292:人間七七四年
地元では、史料も発見されてるらしい。以下コピペ 話だけでなく石川県内から当時の書状とか見つかってんだわ あと前田家の史料も鍵を握る 前田家は皆がご存知の通り織田家の家臣だが江戸時代に入ると上杉家との婚姻関係等を持つようになる そのため一方的な織田家贔屓な史料を残す様な事はしていない 領内の長尾上杉家縁の寺や神社の庇護もしている その前田家や家臣筋の家から当時の史料が続々と発見されている ひとつは鑑定が済み手取川の合戦があった事を裏付けた 他は現在鑑定中のはず

293:人間七七四年
どの程度の規模かが問題

294:人間七七四年
直接参加していた前田家の史料なら、他の史料より信憑性があるな

295:人間七七四年
何がソースなんだろ

296:人間七七四年
謙信が長生きしたら信長は 本能寺の変がなくてもつぶされてたのかな。

297:人間七七四年
確実にね。はっきりいって強さの次元が違う。 謙信6万なら、信長は最低60万人は集めないと戦えないよ。

298:人間七七四年
>>296 関東地方での北条の動きに気を取られて、 それ以上織田領への侵攻が出来なかったんだよな。 結局北陸に縛られっぱなしの、戦略眼がグダグダのお方でございます。

299:人間七七四年
>>297 ゲーム脳になってるから、精神科逝った方がいいよ マジお勧め

300:人間七七四年
つうかほとんどの大名が多方面に敵を抱えてるだろ。謙信だけが特別じゃねーし。 各勢力が婚姻や怨恨で利害関係が複雑に絡んでるから敵を一つに絞るとか無理。 敵が大軍で来ようと指揮者のカリスマ性や用兵。さらに戦地の環境如何で充分互角以上の戦い方ができる。 長期に渡り負けない戦い方をしつつ相手の撤退を待ち追撃すれば大軍ほど大打撃を受けるのは常識。 ゲーム脳の頭では理解できないだろうがな。





301:人間七七四年
>>295 去年だか一昨年だか忘れたが石川県内の民家から信長から七尾城の畠山氏の重臣で織田派だった長氏に宛てた援軍要請に答える書状が発見されて、 それが本物と鑑定されたのがあった。 それまで手取川の合戦そのものが上杉家の記録にしかなく胡散臭く眉唾物だったわけだが、 この書状の発見で手取川の合戦の信憑性が一気に上がったようだ。

302:人間七七四年
>信長から七尾城の畠山氏の重臣で織田派だった長氏に宛てた援軍要請に答える書状が発見されて、 それが本物と鑑定されたのがあった。 から >それまで手取川の合戦そのものが上杉家の記録にしかなく胡散臭く眉唾物だったわけだが、 この書状の発見で手取川の合戦の信憑性が一気に上がったようだ。 この結論に至るには相当の飛躍が必要だろう。

303:人間七七四年
ちょwww織田→長じゃ前田関係ないじゃんwwwww

304:人間七七四年
>長 信長亡き後、前田家に仕官して後に重臣クラスまで昇進。 畠山氏の元家臣の多くも前田家に仕える。

305:人間七七四年
長家は加賀八家の1つ。3万3千石を領していた。 有名だけどな。

306:人間七七四年
畿内・近畿・東海は雑魚しかいなかったって事だろう

307:人間七七四年
思考がどう飛躍したらそんなレスが返せるんだ?

308:人間七七四年
>>303 バカ? 少しはテメーで調べろ

309:人間七七四年
戦術的な能力は 謙信=信玄>家康>秀吉>光秀>信長 川中島の戦 三方が原の戦 小牧長久手の戦 山崎の戦 本能寺の変 で決まりで。 後は大局観や戦略的な能力の話なわけだが… 跡目を決めずに内乱を引き起こして、上杉家の影響力を低下させた謙信と 一番美味しい所を食べ損ねて部下に裏切られて殺された信長ならどっちもどっちって感じがする。 それに信長の死後の織田家の瓦解と何だかかんだで関が原まで影響力を持ち続けた上杉家では 後者の方が全然マシだろ。 寿命や生まれた時期、場所もそれぞれだが…運も実力のうちって言うなら結果的に生き残った上杉家の勝ち。

310:人間七七四年
同感です

311:人間七七四年
じゃあ戦闘バカじゃ天下は取れないって言う事だな。

312:人間七七四年
>>311 戦闘マニアの謙信や旧体制から脱出出来なかった武田家は確かに 天下取るのは無理っぽい。 でも陰謀か個人的恨みか分からんが本能寺を成立させる時点で、自分の危機管理も出来ない 信長でも結局無理だった。 信長が謙信や信玄よりも影響力が有ったのは結局寿命の違いだけで、 最後は自分の家の嫡流さへ維持出来なかったのは歴史的な事実。 秀吉は確かに精神面では信長の後継者だろうが、 赤の他人の天下取りのトスでしかなかったって事になる。 だから馬鹿度でも信長の方が上w 天下と言う最高の美女にプレゼントやらデートやらでやっと初エッチするって時に 愛撫までして、結局最後は秀吉に取られたって…ギャグだぜ。 まぁだから歴史に名も残るわけだが。

313:人間七七四年
だいたい天下取るって意志じたい持ってたのが、信長と晩年の信玄 とか稀少大名。領土を守るor機会があればちょっとだけ広げることが 命題の大名が大半。天下取りレース的に捉えることがそもそも間違いw 日本史上、全国をまとめるようなヤツは記す価値があるというだけ。 謙信は戦馬鹿だが、自領を守り幕府を助けることに生き甲斐を感じて るんだから、信長や秀吉の戦略とは違って当たり前。目的が違う。

314:人間七七四年
信玄が天下取る気だったと信じてる時点でアウト

315:人間七七四年
上杉家はプロパガンダくさい、義とか関東管領とか

316:人間七七四年
両者のビジョン 信長 絶対王制 謙信 貴族院制 どっちが良かったんじゃろうか。

317:人間七七四年
謙信を管領(官位は従四位下左京大夫〜従三位中納言)or副将軍(正三位権大納言)に任じれば完璧だった

318:人間七七四年
そもそも乱世を終結させる方法として「足利復権」か「天下布武」の二択が有る訳なんだから 謙信が天下を取れたかとかの是非以前、そういう固定概念自体に問題がある 佐幕を乱世終結の道と考えた謙信信玄の側が病に倒れ、 対して倒幕側の信長が偶然に時代に勝利しただけの話

319:人間七七四年
信長が倒幕ってのもちょっと違和感があるな。「結果的に」そうなっただけであって。

320:312
>>319 俺は信長を信玄や謙信以上に優れてるとは思わないが 地理的、時期的条件で有利だったとはいえ、戦国時代を終わらせる 大きなキッカケを使った思想と能力は他のどの大名も実現はおろか 発想さえ有ったのか疑わしいほど凄い事だと思う。 結果論よりも意図的と言うか元々の性分で倒幕後、乱世の覇者の思想は上洛する 時には確かに有ったと思う。 信玄、謙信は能力が有っても発想が決定的に欠けてる。 でもそれが劣ってると言うわけでもない。 信長も結局旧体制の象徴として光秀に本能寺で殺されるから結局 最後は旧体制に負けたっていう考え方も成り立つと思う。 秀吉は晩年は狂ってたが、天下を取るまでは信長以上に凄かったしな。 信長が生きてて、上手く天下統一が出来たかも妖しい。

321:人間七七四年
>>315 実際プロパガンダだから 紀州徳川藩と米沢藩による共同プロジェクト

322:人間七七四年
>>313は外道 謙信「みんな自分に与えられた領土の治安を守って経済を発展させるよう努力しようぜ。    悪いことしてる奴がいたら出張って成敗してやるから」 信長「おらおらー領土広げろや、天下じゃ天下じゃー」 信長「謙信つええwとりあえず謙信は東国を俺は西をおさめようぜ」 謙信「はあ?意味ワカンネ。無断で勝手に領土とか広げんなよ」

323:人間七七四年
ミニコントいらね。何が言いたいのか、まとめてくれw

324:人間七七四年
>>322 何という厨臭いレス・・・

325:人間七七四年
>>320さんと考えが近い 信長は早い段階から天下を意識してたのは伺えるし 明確なビジョンがあったのもわかる それに比べると信玄も謙信も結局反信長でしか過ぎなかった とはいえ謙信の生き様は美しくて NHKで加来さんも言ってたが男として惹かれるものがあるよ 関係ないけど蒼天航路の作者に信長主人公の戦国モノの漫画描いてほしいな

326:人間七七四年
>>300 >各勢力が婚姻や怨恨で利害関係が複雑に絡んでるから敵を一つに絞るとか無理。 多方面に配慮が出来尚且対処しうる能力こそ戦略家に要求されます。 その状況下にありながら一方面に長期遠征が出来るのは上々です。 ただ、謙信公はそこまで戦略が器用なお方ではございません。

327:人間七七四年
>>301 >畠山氏 今まで信玄だと思われてた肖像画は実は能登の畠山氏だという事が証明されてきたらしいね。

328:人間七七四年
人違いの肖像画でもドラマで忠実に再現される信玄と正反対に、 信憑性のあるアノ信長肖像画に何で誰も従わないんだろう 再現するなら、実は段田安則とかが適任なんだろうに

329:人間七七四年
謙信がいくら強くても雪が降ったら引き返さなきゃならん 戦が多少強いだけの朝倉義景w

330:人間七七四年
>>327 でも今さらあのイメージを覆すのも大変だよなあ。銅像とかもあれをベースに 作っちゃってるし。でも信玄はあの世で ちょwww俺こんな顔じゃねーよwww とか思ってるんだろうか。

331:人間七七四年
肖像画ってあの有名なアゴヒゲのやつ?

332:人間七七四年
>>323 >信長「謙信つええw

333:人間七七四年
>>330 本物の肖像画は水野晴郎ソックリだもんな

334:人間七七四年
老後は痩せてるし下痢症だしな

335:人間七七四年
でも、どこでどう間違って信玄像になっちゃったんだろうね。 逆に信玄とする根拠が無いのにね。 長谷川等伯自体、信玄と接点無いらしいし。

336:人間七七四年
松平定信のせいらしいよ、マジで。 名家血統大好き人間の定信が尊卑文脈なんかと一緒に過去の偉人の 肖像画の整理を命じたんだけど、これが結論先にありきでイメージに 沿った絵を選んだかしてメチャクチャなモノになった。 足利直義→源頼朝、高師直→足利尊氏といったトンデモ認定はほとんど こいつがやったことらしい。

337:人間七七四年
>>336 なーるほど。アリガト

338:人間七七四年
源義経の烏帽子ずれた間抜け面も奴の仕業なんだろうか…

339:人間七七四年
定信の部下も控え取っとけよ。バカ上司と対照的に神だったのにw

340:人間七七四年
>>336 高師直→足利尊氏は知らなかった。TVでただの武士と紹介されてるのは見たけど。 アリガト

341:人間七七四年
源頼朝→足利直義 平重盛→足利尊氏 の新説通りだと直義のほうがどう見ても男前なのが違和感あるんだよなあ。 本当にそうだったとしても尊氏のほうをもっと書くだろうと思う。 根拠はあるんだろうけどなんか支持できない。

342:人間七七四年
>本当にそうだったとしても尊氏のほうをもっと書くだろうと思う。 本当にそうだったとしても尊氏のほうをもっと男前に書くだろうと思う。 の間違い

343:人間七七四年
これ捏造だろ

344:人間七七四年
蘇我馬子=聖徳太子説もあるな 西郷隆盛の肖像画も本人のものではない

345:人間七七四年
教科書とかに出てくる織田信長の肖像画も実はニセモノ 本物は宣教師が描いた信長の肖像画だけ(実在する) http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/daki_photo.html このページ面白いよ

346:人間七七四年
>>345NHKの番組で見たことあるな。西洋のは写実主義だから宣教師が書いた肖像画のが実際に近いと言ってた。

347:人間七七四年
>宣教師が描いた信長の肖像画だけ(実在する) つ、19世紀にイエズス会関連の史料(実物は消失したが、写本が残存)を 編集したときに描かれた肖像画(お手本は40数点ある日本の肖像画=教科書に載ってるやつ)ww

348:人間七七四年
実に凡庸な顔だよな あの顔と行為のギャップに敵味方も度肝を抜かれたんだろ

349:人間七七四年
信長ってこれかな? http://www.ikedaya.com/ikedatown/castlepre/k.html

350:人間七七四年
史実では、信長は桑マンみたいな顔なんだな。





351:人間七七四年
>>350 似てるけど、もっと細身にした感じだよ。

352:人間七七四年
>>341 正法眼蔵随聞記とかで直義の人格者ぶり、署名で政治家としての 自信ぶりとか昔から刷り込まれてたから、あのご立派な頼朝像が 実は直義だったと聞いても納得がいった。 逆に尊氏は目先の利益につられる品性卑しい人間というイメージが あったので、ああこんなものだろう、っていう。いまだってトップの 政治家や財界人なんて人間のクズみたいな外見の奴はいくらでもいる わけで、画家がいちいち美化しようにも限界がある オレはむしろ武田信玄がホントに水野晴郎閣下だったことに衝撃を受けた

353:人間七七四年
手取川にどんな関係があるわけ?

354:人間七七四年
今読み返したら>>301の能登畠山の話が、 「一般に信玄の画像と思われていた絵」の話になってたんだな。

355:人間七七四年
>>352 随分尊氏を貶めてるけど俺はもっとカリスマのある人物だったと思ってる。 そうじゃなきゃ天皇、義貞、正成つまり自分以外全部敵に回して勝てないだろと思う。 後醍醐親政が武士にとって受け入れがたいものだったんだろうけど尊氏にそれだけ 魅力というか能力があったから武士が見方したと思ってる。あの重盛像からは カリスマや覇気を全く感じない。あんな人物が天下取れたとは思えない。 さらに親説では3枚目の藤原光能が義詮だそうだが、全然似てないよね。 俺はあれ見たときまず公家だと思った。武士っぽくない。と、ここまで書いて思ったが 松平定信も見た目でそう思って旧説通り決めたのかもしれない、とも思う。 でも新説はやはり違和感がある。

356:人間七七四年
水野晴郎に似てるか? ttp://www.interq.or.jp/pure/miyatate/

357:人間七七四年
謙信が信長刺客に肛門を槍で刺されて殺害されたという説 マジならこれは痛いよね

358:人間七七四年
>>356 マジレスするとそれではなく、吉良一族の鎧着用像といれていたもの。

359:人間七七四年
偽画スレ立てて移民しろ池沼共

360:人間七七四年
>カリスマや覇気を全く感じない。あんな人物が天下取れたとは思えない。 後世の人に歴代自民党党首とか幹事長の報道写真並べて 見せたら同じ感想をもたれると思ふ

361:人間七七四年
>>353 それはね。AAやコピペで荒らすと織田厨のプライドにかかわるからだよ。 空気よんであげてね

362:人間七七四年
>>355 どんどんスレ違いになってしまうが 義詮に関しては提唱者はあの光能像が 等持院の義詮像に似てるというのが 根拠だったはずだが? 見比べると確かに似てる。

363:人間七七四年
スレ違いスマソ >>362 光能像だけどさ、あれが実が重盛ってことはないか?でぷっとした重盛像と 似てるとも言える。頼朝の木造と肖像は似てないが、それを言ったら尊氏の木造と 重盛像も似てない。権力者を本物よりかっこよく書くことはあってもかっこ悪く書くことなど 考えずらいから(明の皇帝みたいに嫌われてたわけもないと思うので) 尊氏が木造に近い顔してたとしたら重盛像は尊氏とは思えない。

364:人間七七四年
>>362 ちなみに似てないというのは、重盛像が尊氏、光能像が義詮だとしたら 親子なのに全然似てない、という意味です。

365:人間七七四年
結局戦国時代の肖像画でたしかに本人と呼べるものは、ほとんど残っていないことについて

366:人間七七四年
例の髭面謙信や丸坊主謙信の肖像画って 正しい作成時期や作者などはわかっているんだろうか。

367:人間七七四年
作者は不明なものが多いけど、時代はかなり正確にわかるみたいだ。 戦国時代の武将をあつかった武者絵は江戸期に量産されるけれども、 江戸期には記録マニアが写しや控えを取っていることが多くて、その 普及度から描かれた時代がおおよそ特定できているし、絵の構図や 意匠の元ネタ、真似された系譜などからも時代順が見て取れる。 武田信玄が唐のかしらのかぶとをかぶって赤い袈裟を着た姿が、実は 江戸期に入ってのものだったとかいったこともかなり正確に分かって いるし、もう画家はある程度ステータスのある職業だったので、長谷川 等伯のように印や署名で書いた時代を特定できるものもある。 かえすがえすも松平定信が余計なことをして混乱させてくれたことが…

368:人間七七四年


369:人間七七四年
室町中期以前安土桃山以降のスレは板違いです 戦国時代ではありません。移動お願いします。 http://academy6.2ch.net/history/

370:人間七七四年
>>369 ばーか

371:人間七七四年
手取川って信憑性低いんでしょ? 歴史的資料って謙信の手紙だけだよね

372:人間七七四年
そうだよ もしそんな大敗だったら信長の性格からして柴田ら主な信長の家臣はただじゃす まんだろ 敵前逃亡という最大の戦犯の秀吉も謹慎あたりじゃすまないと思うがね

373:人間七七四年
わちきもそう思いますがな

374:人間七七四年
上杉方が越前との国境近くの大聖寺城まで占領した記述は加賀市と丸岡町に残ってる。 織田方が戦わずに兵を引いたにしちゃ手取川から越前までは常識で見ても引き過ぎ。 手取川から越前国境まで50km弱の距離がある。 自然に考えれば戦闘があって敗れて退いたという見方が自然。 作戦で引いたとしたとしても明らかに引き過ぎで逆に織田方の総指揮をしていたといわれる柴田勝家の指揮官としての才能が疑われる。

375:人間七七四年
もともと遠征中止、本国帰還を考えていたのだらから越前まで引くのは当然では

376:人間七七四年
>>375 加賀と越前国境の地形を知らないな。 退いて陣を新たに張りなおすなら国境の丘陵地帯がベスト。 加賀平野が一望できるため相手の動きが手に取るようにわかる。 そこに陣を張れなかったという事は戦に破れて加賀を追い出されたか織田方の総大将がボンクラだったかのどっちかだ。

377:人間七七四年
>>376 だから元々が七尾城の後詰だから引いたんだろ 関が原みたいな野戦で決着つけようと出陣したわけじゃないし

378:人間七七四年
そのまま上杉の南下を食い止めるつもりはなかったの?

379:人間七七四年
上杉の追撃があれば軍の再編して加賀南部で踏みとどまるという行動もあっただろうが、 謙信は手取川を越えずにそのまま反転して七尾城に帰還してる。

380:人間七七四年
で手取川の戦いって具体的には何処であったの? 手取川行った事あるけど古戦場らしきものは見つからなかった

381:人間七七四年
戦闘の規模は分からないが、能登を丸々とられたのは信長の失点だよ。 北陸の戦線が後退してしまった。

382:人間七七四年
手取川の戦いは以前は信憑性が低いと思われていたが、最近では能登の豪族の日記や京の公家の日記 柴田勝家の手紙など新しい資料も出てきており、かなり信憑性が高くなっている。 状況証拠的に見ても手取り川の戦い直後に信長が謙信の御機嫌取りともとれる書状 を出している事からも織田と上杉の間に物理的衝突があり織田側にダーメージが あったと推測され。 >ていうか、信長びいきのにわか歴史家、作家がろくすっぽ調べず手取り川の戦いは 上杉方の捏造と言てる例も少なくない。最近出たPHP出版の信長本でも信長公記にまったく 出てないので信憑性なしとかおもいっきり書いてあったし。

383:人間七七四年
>>382 その能登の豪族の日記やら、京の公家やらの日記、勝家の手紙などの資料の内容 教えてよ。 謙信への機嫌とりの書状の内容は?

384:人間七七四年
だからさ手取川の古戦場って具体的にどこよ? あ、言っとくけど俺は戦いはあったと思う

385:人間七七四年
>>383 前田家に残っている。 信長に助けを求めにいった長氏と家臣はその後前田家に仕えたからな。 どこの資料館かは忘れたが金沢市内の歴史博物館等に展示してあるはずだ。 前田家は織田家の家臣でありながら領内の上杉家縁の寺や神社を保護し続けていた。 大聖寺藩と米沢藩の繋がりもあっての事だろうが、どちらかの肩を持つ様な扱いはしていない。

386:人間七七四年
>>385 金沢の資料館いかないと見れないのか・・・ 誰か謙信本でまとめてくんないかな。

387:人間七七四年
ま、ここでなんのかんの言っても『センゴク』で新説として 手取り川がなかったとかにされたら、漫画しか本を読まない馬鹿が一気に押し寄せるだろうな。

388:人間七七四年
←>>387 チッチッチ 比志手遣ゥ!!! 平民のオマエに、何が解かる?

389:人間七七四年
>>388 ハイ オパピー チンドンシャンテントぅー えた 非人のオマエには、わかんのか?

390:人間七七四年
そもそも軍律違反をおかしてまでする秀吉の北陸からの離叛の意図は何だったの?

391:人間七七四年
>>390 派閥抗争。 信長の生前から織田家家臣団の結束は非常にガタガタだった。それを信長の強権が なんとかまとめていた感じ。 秀吉の離脱は「柴田とは派閥が違うんだから一緒には出来ない」って事だ。

392:人間七七四年
>>391 ありがとうございます。 ただ、下手をすれば敗戦要因とされ、謹慎どころではなく、改易・追放・死罪になる 可能性もあったわけですし、特に癇癪持ちの信長相手にそこまでの リスクを背負ってまで離脱するメリットがあったのかと・・・

393:人間七七四年
>>392 まあ離脱自体、講談や小説で言われるような突然の命令違反であったかどうか、って言うのは 議論の余地はあるけどね。

394:人間七七四年
>>393 そうですね。 結局、大規模な戦闘があったのか、七尾落城を受けて帰陣中に殿あたりに接触があった程度なのかでは 事の重要性が全く違ってきますしね。 合理的な信長が衝突の無意味さと危険さから早期撤退主張した秀吉の意を理解していたとしたら 体裁程度の謹慎もうなづけます。仮に秀吉がおとなしく勝家と陣を同じくしていたら それこそ大規模な戦闘になっていたかもしれず、 織田勢大軍といえど北陸の隘路では精強な上杉勢の餌食になっていたかもしれず、 結果オーライということでしょうか? この視点から見ると、おおよそ戦闘なんて呼べるほどのものではなかったのかと 推察できます。地方史から接触程度はあったようですけど。 ほとんどは講談の域ですね。

395:人間七七四年
>>394 推察っていうのは資料などの情報を元にするもんじゃないの? 貴方はまず自分で推察を勝手に広げ、それを「視点」なんて言い換えてるけど はっきり言って憶測から憶測を産み出してるようにしか見えない 「地方史から〜あったようです」と言うのであれば その地方史(上にある前田家資料か)とやらを確認した上で、 「推測」ってされるもんじゃないの? ただレスをチラ見した後に出した結論なんて あまり意味が無い

396:人間七七四年
うるせーハゲ

397:人間七七四年
>>395 なんかくだらないツッコミする人ですね。 あなた的に言うなら推察より考察でしょ。 学会の論文発表じゃないんだから。 そういうの揚げ足取りっていうんですよ。 もともと一級資料もなく、信憑性の怪しい事象故に 講談の域での話と断っているのに、 そんなこといったら話も何もおわってしまうでしょ。 秀吉離脱という視点から考える事自体、おかしいですか? どうせならそっちの方向で突っこんでほしかったですね。 空気読んでくださいよ。

398:人間七七四年
>>385のような「激しい戦闘はあった」とする、地方に残された資料を精査&照合。 それと「接触程度だった」とする論拠と比較検討をするなら兎も角。 秀吉離脱って話から合戦の規模を推し量るのは無理。

399:人間七七四年
おれは 激しい戦闘があったとおもう。 素直だから。

400:人間七七四年
いい加減>>380の質問に応えろや





401:人間七七四年
織田方の名のある武将がだれも死んでいない。部隊長クラスの名前も 出てこないことから、この戦いは講談咄の域を出ない。 ただし、間抜けな足軽、雑兵、葉武者などが川に落ちて溺死した可能性は ある。

402:人間七七四年
>>401 第四次川中島でも上杉方の武将は誰も死んでない でも兵は3500近く死んだ

403:人間七七四年
でも「謙信の書状」って一次資料じゃないの? それとも編纂した二次資料の書き写しなんだろうか? 彼って相手が退いたケースは「戦えず残念だ」って他の書状(対信玄、対氏政)に書いてるし

404:人間七七四年
>>402 3500は武田

405:人間七七四年
織田は同じ1577年に2度に渡って大軍で紀州雑賀攻めもやっているね。 どっちも短期間で撤兵して今度は加賀に大軍送ってこっちもすぐ撤退。 一向宗攻略が大詰めを迎えて大忙しって感じか。 もうこの時点じゃ上杉なんてものの数に入ってないと思うよ。 同じ年に僅か7万石の雑賀相手には信長自ら織田の遠征可能な兵力ほぼ全軍で出撃、 一方上杉相手には家臣団に適当に相手させとくって扱いだし。

406:人間七七四年
>>391 単なる派閥で片付けられることではない。 派閥構想があるから織田家の結束がガタガタだというのなら、その程度武田にも 上杉にも毛利にも北条にもある。しかしそれでも命令違反で戦線離脱なんてのは 滅多にない重大事だった。少なくとも、派閥だけで説明できることではないよ。 ついでに付け加えると、手取川当時の織田家における派閥を考えるのなら、柴田 に並ぶかあるいは上回る重臣は佐久間であって、その頃の羽柴閥なんて比べれば 弱小。

407:人間七七四年
>>406 秀吉は自己で派閥形成していたと言うより、丹羽あたりの派閥に所属していたっぽいな。

408:人間七七四年
謹慎程度で済むということは 信長が謙信と本気で決戦する気は無かったってことじゃね? あくまで七尾の後詰めというか、牽制的派兵であって 七尾が落城したら意味無くなるし。 そのへんは上の方のレスでも言われてたけど 上杉は北条に適当に相手させて封じ込めとけばよい相手で 敢えて決戦するメリットって無いでしょ。

409:人間七七四年
秀吉あっての信長だから切れない

410:人間七七四年
信長って有能な人間には寛容だからな 松永が反乱起こしても許したり、説得しようとしたり 荒木に対してもそう つか手取川の後に大聖寺城近辺まで侵攻を許していたら、粛清してる余裕なんてない 謙信は加賀の一部というより、ほぼ大半を掌握してるっぽいし よって越前一乗谷が風前の灯 第二次木津川口の戦は一年後だから石山本願寺も健在って状況 さらに松永も謀反を起こすわ、かなり追い詰められてる

411:人間七七四年
いつから織田家臣団はガタガタって話なの?

412:人間七七四年
松永も謙信が南下してくるから裏切ったと聞いたけどこれが本当なら 手取川で謙信が勝って謙信なら織田を倒せると思ったから松永は 裏切ったといえる。やはり手取川の合戦はあったともうよ9

413:人間七七四年
>>410 まあその秀吉も天下があらかた平らげば、林や佐久間よろしくこの命令違反をほじくりかえされて 織田家から放逐されただろうな。

414:人間七七四年
秀吉には子が無く、秀勝を送り込んでるから 羽柴家は実質織田のもの 放逐するとは思えんよ

415:人間七七四年
>>414 秀勝に強制的に羽柴家を継がせた上で隠居させ、更に圧力をかけて放逐、位の事は信長はするだろ。 信雄を送りこんだ畠山家みたいに。

416:人間七七四年
畠山じゃねえ北畠だw 何でこんな間違いを。

417:人間七七四年
そりゃ北畠には伊勢国司というブランドがあるからだろ。 秀吉一代で成り上がった羽柴という家にブランドは無い。

418:人間七七四年
>>405 雑賀攻めは失敗。どうみても。 紀州は織田領にならず。

419:人間七七四年
保守

420:人間七七四年
>>412 その通りだろう。 当時の武将は2ちゃんの我々が思うほど馬鹿ではない。 松永は以前三好から織田に鞍替えした男だ。 その男が今度は織田から上杉に鞍替えしたわけだ。 当時の状況では上杉有利の判断が妥当だったのではないか。

421:人間七七四年
大軍を北陸に送った時点で信長ウロ。 上杉の強力さがわかる。

422:人間七七四年
その武将たちの顔ぶれ見るとなおさらね。  飛ぶ長軍のオールスター勢揃いじゃん。

423:人間七七四年
合戦は勝敗それ自体が肝心だったと思います。 だから「勝ちを取る」という考えがあった。 内容よりは、その勝敗による宣伝効果が重要だったのでは。 上杉氏は結構宣伝上手だという印象があるが、どうでしょうか? いずれにせよ、この合戦は世間に宣伝されたのは事実でしょう。 そして、反信長方は勢いづいた。 織田家の家臣も動揺した。 内心裏切りを考えた武将もいたでしょう。 謙信の小田原攻めの時の、あの勢いと謙信ブ−ムが今再び来る。 信長自身も考えたに違いないと思います。

424:人間七七四年
謙信がもし言葉通り関東に進撃した場合はどうなっただろうか? 小田原まで攻め込むのは難しくはないだろうが、落とすのは難しいだろう。 今度こそは奪った城をがっちりと保持しなければ意味がない。 織田が加賀で巻き返してくる前に片付ける必要があるが、どうだろうか。 追いつめた後、和睦か? そして武田も含めて盟約を結ぶ。 越前侵攻時には、武田・北条からもわずかで良いから援兵を得られれば成功だが。

425:人間七七四年
加賀は一向宗の力が強くて侵攻に多少手間取っただけじゃん。 上杉は織田に蚊ほどの打撃も与えてないだろ。 結局上洛以降でまともに織田軍に被害を与えたのは浅井朝倉と一向宗だけ。

426:人間七七四年
>>425 三方原も入れていいんじゃね? あの時期の徳川なんて、小さく見積もっても織田の従属で、織田の援軍にも大きな被害出てるし。

427:人間七七四年
>>424 小田原まで取る必要ないな 唐沢山と金山〜小山まで保持出来れば 北条は(上杉も)この両城を力攻めで落とせなかった 東上野&下野南部〜祇園城から北条を駆逐 利根川北部を固める事が出来れば充分 あの頃だと宇都宮、佐野、佐竹、里見らは協力を惜しまなかったろうし

428:人間七七四年
信長マンセー研究者、学者でさえ、最強は 謙信、信玄と言う件 信長バカはは自分がバカなのをさらして快感??

429:人間七七四年
どういう意味で最強なのかによるだろ 信長はむしろキライな方だが、信玄や謙信が最強とはおもわん。

430:人間七七四年
そもそも「最強」ってなんなんだろうな

431:人間七七四年
厨ほど最強とか好きだからなw

432:人間七七四年
やっぱり合戦の上手い下手でしょ? これは既に謙信最強で一致してるよね。 外交や謀略を含めれば信玄も浮上するけどね。 信長最強というのは、総合的国力の話だよね。

433:人間七七四年
口臭兵は終わり兵の五倍の強さだしね。

434:人間七七四年
>>430 必中レンジが他の5倍、全体攻撃も強力で空中移動も出来るから移動時地形に左右されない。

435:人間七七四年
誤爆なのかネタフリなのか厨を馬鹿にしているのかイマイチ区別がつかないな

436:人間七七四年
ナフタリンだよ

437:人間七七四年
信長率いる鉄砲兵1000人、信玄率いる騎馬兵1000人、謙信率いる槍兵1000人が戦えば謙信の槍兵の勝ち。

438:人間七七四年
ねーよ

439:人間七七四年
戦争はスポーツじゃねーんだからそんな仮定無意味だろ

440:人間七七四年
だがそれがいい

441:人間七七四年
>>439 お前の頭じゃ意味がわからんか?

442:人間七七四年
戦国武将の最優先の能力は? そりゃ、総合的に優れてるのが良いんだろうが、とりあえず、最も必要な才能は? おれは まず、戦が強くなけりゃって、思うのだが。 政治、謀略、戦術、戦略 これらに優先順位をつけるとしたらどうだろう。

443:人間七七四年
先ず家中を纏めなければ話にならんし・・・なので1に政治。 戦術は家来に強いのがいれば何とかなるでしょ。 今川とか大友みたいに。 2に戦略かな。 戦う相手や同盟する相手を誤ったら、取り戻すのは難しいからね。 3に戦術か。当然自分自信が強いのに越したことはない。 その分、政治や戦略にも幅が出るし、成功しやすいからね。 特別強ければ、謙信みたいに戦術のみで押していけるが(笑) 正攻法でダメなら謀略と言うことで、4に謀略。

444:人間七七四年
>>442-443 大名クラスに限っていえば、個人的には 政治>戦略>謀略≧戦術 戦で目的を達成するよりは、謀略調略で事が済むのならそのほうが安上がり。

445:人間七七四年
>>442 戦術>戦略>謀略>政治 まず戦闘教義を確立させて、戦術的に負けない軍政を確立させる。 そこから、戦略が派生する。 その戦略に従って謀の重要性が生まれ、その戦略に 合わせて内政を充実させる。 たいていの軍事学の本では、こんな感じだな。 まず第一に戦闘教義を確立させることが大切なんだと。

446:人間七七四年
堅さ>カリ>太さ>長さ

447:人間七七四年
持続力はどうでもいいというのか

448:人間七七四年
>>442 一番大事なのは運だな 1:まず生まれる前に親が支配体制を整えておく事 2:周囲を山河に阻まれてる国だと碌に侵攻も出来ない 3:家督を継いだ時点で敵勢力が2つ以上肥大化してない事 4:合戦時に大将首を挙げるような強兵が自軍に居るのも運

449:人間七七四年
>>448 元就の場合 1:親は安芸の一国人に過ぎない 2:そもそも本拠地が山の中 3:周囲は自分より大きい敵だらけ、家督を継ぐ前に安芸の元守護武田を破る 4:元就以前は小競り合いに終始し家臣を粛清した位の実績しか無し

450:人間七七四年
>>446 うぅむぅ、硬さのみ自身のある当方には朗報でござった。 かたじけない。





451:人間七七四年
歴史街道で 謙信、信玄最強との あからさまな記事載ってるせいか北条、織田、島津バカ おとなしいのうw 当時の記録にも両者は最強との認識が日本中に轟いていたのだそうだ。  ま、それに対する氏康も有名だったのだろう。

452:人間七七四年
でも戦国で最強といえば謙信であろう

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