1:名無しさん@お腹いっぱい。
軍師スレ・・・か?
2:名無しさん@お腹いっぱい。
2get ⊂⊃ /~~\ ⊂⊃ ...............,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘............. ∧_∧ (´・ω・) キキーッ! O┬O ) ◎┴し'-◎ ≡ ∧_∧ (・ω・`) スルーッ O┬O ) ◎┴し'-◎ ≡
3:名無しさん@お腹いっぱい。
過大評価されていると感じる。
4:名無しさん@お腹いっぱい。
半兵衛の活躍なんてほとんど創作 絵本太閤記は信憑性皆無の講談小説
5:名無しさん@お腹いっぱい。
絵本大功記な罠
6:名無しさん@お腹いっぱい。
病弱なのが惜しまれる
7:名無しさん@お腹いっぱい。
本朝の戦国期における軍師とは、人脈を用いて多数派工作する営業マンであった。 2ちゃんねるで、良く出てくる説。 検証をしてもらおうか。
8:名無しさん@お腹いっぱい。
今日は半兵衛の命日だっけ?
9:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
昨日はばあちゃんの命日だった。 明日は嫁のお父さんの命日だ。 まあ自分語りだが、どちらも岐阜県人ゆえに許してくれ。
10:名無しさん@お腹いっぱい。
だから姉小路をマンセーしてたのか
11:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
アレは飛騨だろ。
12:名無しさん@お腹いっぱい。
岐阜でもある。
13:名無しさん@お腹いっぱい。
>>8-12 おまえら、ダイナミックに現実逃避したな。
14:名無しさん@お腹いっぱい。
息子は徳川の家来だよな?どんな奴だったんだろ?教えて歴史学者さん!
15:名無しさん@お腹いっぱい。
>>14 歴史学者じゃないけど、関ヶ原の時最初西軍についてて、関ヶ原の決戦の時 合戦中東軍に寝返った。 父である半兵衛の伝記を書いて、今も名前が残っているのもこの功績が大きい。 その代わり、まだ幼年時代に半兵衛たち将校が軍議の話しをしているのを聞かされてて 途中でオシッコしたくなって便所に立とうとすると半兵衛が「てめえこのクソガキ大事な話を聞かせてもらってるのに 小便に行こうとは何様のつもりだ!そこで漏らしながら話しきいてろ!!」などとやっていた DQN父ぶりも後世に伝えた。
16:名無しさん@お腹いっぱい。
>>15 貴重なお話thx! 情報源教えて下さい。
17:名無しさん@お腹いっぱい。
>>16 戦国武将おもしろ辞典
18:名無しさん@お腹いっぱい。
てか半兵衛調べたらフツーに出てくるよな。その逸話。
19:名無しさん@お腹いっぱい。
政宗もそっくりのエピソードがあるな
20:名無しさん@お腹いっぱい。
三国志の孔明を彷彿させるぜい!!!
21:名無しさん@お腹いっぱい。
信長の命令に背いて(よく考えるととてつもなく危険な行為) 黒田長政をかくまったのは史実なので 心優しい人間だったのは間違いないだろう。
22:名無しさん@お腹いっぱい。
軍師的な男って古今東西、マゾ、ホモ気質なんだよな 己の才能で天下を統一しようとするんじゃなく 誰か魅力ある能無しを担ごうとする で、自身は地位や権力に固執しない 孔明然り、半兵衛然り、張良然り、周恩来然り、 そして如水のように我が天下を狙うと、絶対に成功しない 結局は癸欧梁減澆世
23:名無しさん@お腹いっぱい。
兵庫・三木市に墓所がある。ひっそりと花が手向けてあった。
24:名無しさん@お腹いっぱい。
>>22 己の利害損得が頭にあるとどうしても目が曇っちまうんだろうな。
25:名無しさん@お腹いっぱい。
官兵衛も忘れないで下さい。
26:名無しさん@お腹いっぱい。
半兵衛=孔明 官兵衛=司馬い 似とる。
27:名無しさん@お腹いっぱい。
普通は反目しそうだよね、この二人。互いの器量を知ってるから仲良かったのかな
28:名無しさん@お腹いっぱい。
官兵衛は本能寺のこと知った時、秀吉に天下取りを勧めてたけど、 実は後で豊臣家を乗っ取るつもりだったのか?
29:くろだじょすい
太閤秀吉の名の元で天下に号令したかったが九州にとばされた・・バテレンだからしょうがない
30:名無しさん@お腹いっぱい。
官兵衛はバテレンですか…
31:名無しさん@お腹いっぱい。
違った?キリシタン?
32:名無しさん@お腹いっぱい。
まぁ、官兵衛はしょせん自分の息子すら思い通りに動かせなかった わけだからな。天下はとてもとれんわな。
33:くろだじょすい
息子の出来が良すぎた!
34:くろだながまさ
長政のほうが、実は大物のような気がする!
35:くろだじょすい
ひのうちどころがない! 野心があったらな・・・・
36:名無しさん@お腹いっぱい。
猪に乗って戦ったらしいな
37:名無しさん@お腹いっぱい。
マジ?その逸話教えて
38:名無しさん@お腹いっぱい。
牛だった。 爆笑信長の野望っていう結構昔に肥から出てる本に、 【秀吉の軍師として勤めるが、 後世の伝記には「竹中半兵衛は牛に騎乗して戦った」など誇張が多く、 信憑性にかけるようだ。】 って書いてあるだけw どの書物とかはわからない、スマソ
39:名無しさん@お腹いっぱい。
竹中半兵衛の事跡で史実である可能性が高いのは ・義父である安藤守就と共謀して稲葉山城を占拠(ただし十数人ではない) ・美濃の有力者堀秀村を調略 ・黒田官兵衛の息子を信長の追及から匿う 秀吉の軍法の師であったとか三顧の礼とかは全部創作の可能性が高い
40:名無しさん@お腹いっぱい。
黒田長政って有能なんか?
41:名無しさん@お腹いっぱい。
かなり有能な部類でしょう。 親父のせいで目立たないけど。
42:名無しさん@お腹いっぱい。
>>41 まぁ、親父とは才能の方向が違うかな。 親父は、参謀長とか謀略担当にはうってつけの人材だが、 息子はむしろ政治家の側面が強い。 人気は親父の方が高いが、息子の方が成功したといえる。
43:名無しさん@お腹いっぱい。
父親とは別の道を選びたがるのは普通なことだと思う。 正純だって、反発はあったみたいだし。
44:名無しさん@お腹いっぱい。
今孔明 三国志っていつから日本に入ってきたんだ?
45:名無しさん@お腹いっぱい。
鑑真辺りだったとおも
46:名無しさん@お腹いっぱい。
サンクス 他にも本多忠勝が日本の張飛と呼ばれていたようだね 三国志の武将に例えられた人物は他にもいそうだ
47:名無しさん@お腹いっぱい。
>>45 テキトーなこと言うなw そういうクセはつけんほうがおまえさんの身のためだぞ。 鑑真が来日する前の世代の人、大伴旅人が 酒の名を聖(ひじり)とおほせし 古の大き聖の言のよろしき という歌を残してるが、こりゃ徐邈と曹操の故事をもとにしとるぞ。 もっとも『三国志』本体じゃなくて『芸文類聚』を種本にしてる可能性 も指摘されてるが。
48:名無しさん@お腹いっぱい。
三戦板に黒田官兵衛スレがある ド ン ・ シ メ オ ン http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1148286199/l50 長政となぜか細川忠興が人気のようだ
49:名無しさん@お腹いっぱい。
竹中重治を今孔明と例えたのは絵本大功記から。
50:名無しさん@お腹いっぱい。
つまり創作か
51:名無しさん@お腹いっぱい。
>>44 『続日本書紀』 天平宝子四年十一月十日の条
52:名無しさん@お腹いっぱい。
近江前線を守ってたらしい
53:名無しさん@お腹いっぱい。
こいつほど過大評価されてる人物は珍しい
54:名無しさん@お腹いっぱい。
早死補正が強い
55:名無しさん@お腹いっぱい。
そこにロマンがある
56:名無しさん@お腹いっぱい。
半兵衛なら北朝鮮乗っ取れるのかなぁ
57:名無しさん@お腹いっぱい。
BASARAに出るよな。
58:名無しさん@お腹いっぱい。
次作の無双にもでてほすぃ
59:名無しさん@お腹いっぱい。
三国無双2か3の頃のインタビューで、 軍師系はあまり無双のイメージではないから、あんまりださないとか言ってたから、 半兵衛もでる可能性は低そうだ。 ゲームの話は板違いか、スマソ
60:名無しさん@お腹いっぱい。
だが女は出すというオナニー大好き肥
61:名無しさん@お腹いっぱい。
>>59 板違いではない
62:名無しさん@お腹いっぱい。
>>60 おお、わけわからんw
63:名無しさん@お腹いっぱい。
つまり半兵衛を女性化すればいいんだよ
64:名無しさん@お腹いっぱい。
スレで語る事績すら無い凡人
65:名無しさん@お腹いっぱい。
せめてスレタイに重治と入れてくれや
66:名無しさん@お腹いっぱい。
信長の野望では日本一の名軍師なんだが 史実とのギャップがすごい
67:名無しさん@お腹いっぱい。
>>63 や、やめろ! 荀?を女にした実績のある肥なら本当にやりかねん。
68:名無しさん@お腹いっぱい。
やはり張良、孔明ら古代支那の軍師達になぞらえて 講談の竹中半兵衛像が出来上がっていったのだろうね 太閤記の講談で秀吉人気が高まったのは事実だろうが 軍師・半兵衛の過剰な脚色で秀吉自身の軍才を過少評価されてしまうのは皮肉な事だ
69:名無しさん@お腹いっぱい。
むしろ被害を受けたのは秀長のようなきがする、 秀長のほうが諸葛亮像に近い働きしてると思うし。
70:名無しさん@お腹いっぱい。
秀吉は功績を手下に分散させないとスーパーマン過ぎておもしろくないんじゃない? 庶民にとっては。 不敗の名将で最晩年以外は政治外交も完璧でしたじゃ感情移入しようもねえ。
71:名無しさん@お腹いっぱい。
司馬の『太閤記』では秀吉に焦点が当てられてて半兵衛や官兵衛があまり目立たなかった覚えがあるが。 吉川や山岡の『太閤記』ではどんな感じ?
72:名無しさん@お腹いっぱい。
竹中半兵衛の427回忌法要に参列した人たち=平井 安土桃山時代に羽柴(のち豊臣)秀吉の軍師として活躍し、三木城攻めの最中に病死した竹中半兵衛(一五四四-七九年)の四百二十七回忌法要が十三日、平井の墓前で営まれた。 薮本吉秀市長をはじめ関係者ら三十人が参加し、功績をたたえる詩を披露し遺徳をしのんだ。(佐伯竜一) 竹中半兵衛は、穏やかな人柄と大胆な軍略で秀吉を支え、三木合戦では「干殺し」(兵糧攻め)の策を練ったといわれる武将。 戦った地元三木にとっては敵方だが、秀吉方から供養を頼まれたという。これを受け、地元では毎年月遅れの命日に法要を続けているという。 http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/mi/index.shtml
73:あぼーん
あぼーん
74:名無しさん@お腹いっぱい。
如水との関係 如水と半兵衛が初めて顔を合わせたのは、秀吉の中国征伐軍が播州に差し掛かった頃だから、だいたい一五七五年頃だと思われる。 よく、如水と半兵衛を秀吉の二大軍師などと呼ぶが、半兵衛の生没年を見ればわかるように、如水との出会いからわずか四年でこの世を去ってしまっているため、実際に二人同時に秀吉に仕えていたのは本当にわずかな時間であった。 しかしこのわずかな時間の中で、如水は半兵衛から多くの事を学び取ったと考えられる。
75:名無しさん@お腹いっぱい。
しかし秀吉は運がいいな。 尾張の頃から中国攻めまでは半兵衛が、 三木城攻めで半兵衛がぽっくり逝くけど幽閉されてた官兵衛が軍師に。
76:名無しさん@お腹いっぱい
直人
77:名無しさん@お腹いっぱい。
76 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/04/05(月) 19:42 堺屋太一さんが言っていたと思うけれども、 半兵衛と官兵衛をそれぞれ現代人に喩えて…、 半兵衛…エリート銀行員から新興商社にトラバーユした人 官兵衛…立案能力が命、の辣腕官僚 らしいです。 何となく、納得できそうで納得できないのは、やはり、どこと無くしっく りこない喩えだからでしょう…。 皆はどんな風に喩えますか?
78:名無しさん@お腹いっぱい。
>>71 あんま変わらんな。 その代わり司馬には「播磨灘物語」があるけど。
79:名無しさん@お腹いっぱい。
半べえって美青年だったってホント?
80:名無しさん@お腹いっぱい。
ホントって聞かれても 誰も会った事ないからなぁ…
81:名無しさん@お腹いっぱい。
当時の女っぽい顔はしていたのかもね。 それが現代では美形と捉えられてるのかも。
82:名無しさん@お腹いっぱい。
半兵衛の墓のある三木城跡の説明の絵では、微妙なひげのオッサンだった 別所や秀吉はハンサムに描かれてるんだが コーエーのゲームで美形補正を受ける前に描かれたんだろうな
83:名無しさん@お腹いっぱい。
まあ、息子は歴史に残る面白フェイスだったけどな。遺伝を信じれば美形ってほどでもなかっただろ>半兵衛
84:名無しさん@お腹いっぱい。
女みたい、軍師、肺結核、夭折… これらの要素から美形だと思いたくなるのが浪漫
85:名無しさん@お腹いっぱい。
まあ逆説的に言えば、天下人となった秀吉があんだけ重宝してたんだから、 別に記録に残らなくとも色んな所で役に立ってたんじゃないだろうか、と思うよ。
86:名無しさん@お腹いっぱい。
まあ出世欲が無かったってのは当時としては変人扱いだろうね 現代の基準で見れば清廉な人物になるんだろうが
87:名無しさん@お腹いっぱい。
出世欲が無かったという話も根拠が無いからなあ。 実際に大した禄をもらっていないけど、その程度の人物だった可能性もあるし。
88:石 ◆wfGsWQJm.U
de
89:名無しさん@お腹いっぱい。
鳳の花押使うようなやつに野心がないってのもなあ
90:名無しさん@お腹いっぱい。
自分より才能がある半兵衛のコトがジャマでしょうがなかった官兵衛は、半兵衛に毒を盛って殺してしまいました!コトの真相を知った秀吉ですが、とりあえず官兵衛を許しましたが晩年政権を追い中津に左遷しましたとさ(o^ー’)b てのはどうよ?
91:名無しさん@お腹いっぱい。
それだったら真相知った時殺されるだろ浄水がな
92:名無しさん@お腹いっぱい。
あの段階で官兵衛殺したら秀吉の天下はおろか対毛利戦さえも危ういと思うがいかが?
93:名無し議論スレにて投票方法審議中
子孫がショボい
94:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>93 今でも子孫いるんかな? 重門系は旗本になったらしいが。
95:名無し議論スレにて投票方法審議中
天は二物を与えないということだなあ。
96:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>87 まだ秀吉がぺーぺーだったから 大した禄じゃなかったがかなり優遇されてるはず それと稲葉山城は16人で穫ったのも史実だろ その後処理に二千人の安藤軍が協力したのでは?
97:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>94 幕末の時の重固ていう陸軍奉行が子孫じゃなかったっけ? 戊辰戦争後どうなったかしらないけど
98:名無し議論スレにて投票方法審議中
まぁ、この人についてのまともな史料ほとんどないし 講談ばかりだし 評価しようがない、でいいよ 天才軍師とか17人で稲葉山城攻略とか、もうね…
99:名無し議論スレにて投票方法審議中
>>98 だったら来んなや ここは歴史を検証する場所なのか? そんな下らねーこと言ってたら何も語れねぇぞ 全て創作かもしれないが真実じゃないとも言えない 半兵衛は秀吉の礼状を処分してたり 自分の事を語りたがらない男らしかったから わずかな伝聞を頼りにしか語りようがねぇじゃねぇか 卑弥呼や山本勘助だって謎だらけで語れねぇぞ
100:名無しさん@お腹いっぱい。
>>94 直径は幕末に途絶えました。
101:名無し議論スレにて投票方法審議中
「これは半兵衛の罠だ!」
102:名無し議論スレにて投票方法審議中
ただひたすらに、 軍略のみを考え続けた師の生き様は、 最高の生き様である。
103:名無し議論スレにて投票方法審議中
弟の重矩や、息子の重門について語る者はいないか?
104:名無し議論スレにて投票方法審議中
嫁さんは安藤からもらったんだっけ?
105:名無し議論スレにて投票方法審議中
半兵衛さんちの兄弟は早死にしすぎじゃね?
106:人間七七四年
竹中半兵衛は昔好きだった。 俺が戦国にはまった原因である吉川英二の新書太閤記で妙に記憶に残って好きになった。 その前に読んだ三国志の孔明そのまんまのエピソードがあったせいかもしれんが。 その後、竹中半兵衛の小説を探してPHPから出てる八尋シュンスケ(漢字失念)の 「(軍師)竹中半兵衛」を読んだ。なんか無茶苦茶な聖人にされてたが、 なかなか良かった。ファンなら面白く読めそう。
107:人間七七四年
日本人に竹中半兵衛という人物を骨の髄まで叩き込んで教えれば 今後の日本は(少なくとも教育の面では)100%良い方向に向かう。 そうゆう人・・・あ〜でも、もし本人が生きていてそれを知ったら蟄居されそう。・・・そうゆう人
108:人間七七四年
八尋著の竹中半兵衛は中々良いよね。軍師的かっこよさはそんなないけど、結構好き。 どうも信長が好きになれない俺は・・・・。真相は知らないけど、義父安藤伊賀守が武田内通で追放。 半兵衛が生きてたらどう行動したんだろう?って妄想が膨らむwね。これまた楽しいw またクーデター起こしたとかさ。
109:人間七七四年
>>101 「嘘だ!」
110:人間七七四年
>>103 ゲームだと重門は毎回中堅官僚的な能力だけど、重矩は出たこと自体あったっけ?
111:人間七七四年
播磨の小城を探索してごらん あちこちの城で「竹中半兵衛、黒田官兵衛」に攻略されたって 看板に書かれていて両兵衛に攻められたらそりゃ落ちるわなって思うから
112:人間七七四年
>>110 「天下統一」シリーズには剛勇の士で登場してる。姉川の時に活躍してるし。
113:人間七七四年
>>110 っ「風雲録」 戦闘94(!)
114:人間七七四年
頭良すぎて、兵を預けて貰えず天下を取り損ねたと、死ぬ前に嘆いたのは史実かな? 小説で信長に、半兵衛は頭が良すぎて先が見えすぎてて、逆に何も出来ない。 自分の様にほどほどのほうが思い切った事出来るのさ、とか書いて有ったな。 褒めてるのか、貶してるのか解らんけど。
115:人間七七四年
「あんたには夢が無いね」みたいな感じだな
116:人間七七四年
城乗っ取りや黒田長政救助とかは本当なの? よく小説とかには出てくるんだが、話が出来すぎているような気がしないでもない。 半兵衛好きだから本当であってほしいが
117:人間七七四年
>>116 黒田家の家紋が竹中と同じだから、やはり。
118:人間七七四年
乗っ取りは微妙だが長政救ったのは本当。 黒田家の方の歴史記録にそう書いてあるそうな。
119:人間七七四年
竹中半兵衛と上杉謙信が戦ったらどっちが勝つかな?
120:人間七七四年
おまい無邪気で可愛いすぎるぞw 長生きしてても、手取川で指揮を 取るのは勝家で、半兵衛は秀吉と一緒に帰っちゃうから無理w
121:人間七七四年
本で読んだんだが、 『信長公記』では、竹中重治は秀吉の『与力』としての立場であり、 秀吉専属の軍師では無かったと書いてあったらしいが・・・。 なら、もうちょっと長生きして、信長殺されなかったとしたら九州平定後どうなってたんだろ?
122:人間七七四年
>>121 元々秀吉の栗原山7度通いもなかった、というのが今じゃ定説。 単に美濃攻略後に下った重臣の一人、という扱いだったから 当時の秀吉の下には家臣としてはつけられないやねえ。 で、信長死んでなくて本人も長生きしてたら普通に希望通り普通に出家してそう
123:人間七七四年
みんな歴史街道読んだ??
124:人間七七四年
読んだ 目新しい事はなかったけど、(小谷攻の図解は良かった) 作家の愛が伝わってきて良かった。 秀吉の枷の作者は半兵衛が好きなんだな・・・ 作品がああなった理由にちょっと納得した
125:人間七七四年
竹中を軍師呼ばわりしたのは江戸時代の講談?
126:人間七七四年
江戸時代の講談は三顧の礼じゃないかな 半兵衛の場合史実かどうかは微妙だが稲葉山城占拠と 確実事実な黒田長政を助けた事が後世の評価決めた気がする
127:人間七七四年
一時期、近江に蟄居してらしいけど地縁でもあったのかな?
128:人間七七四年
>>127 嫁さんの実家とかかな?
129:sage
ココに来ている人はもちろん王佐の才を読んだよね?
130:人間七七四年
☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻
131:人間七七四年
そもそも反米は実在したかも怪しいんじゃなかったっけ?
132:人間七七四年
実在は確実だが軍師としての武勇伝のほとんどは 信憑性のないものや誇張されてるもの。
133:人間七七四年
>>132 インチキ文書、武功夜話でよくあることだなw
134:人間七七四年
山本管助より確か
135:宇喜多直家信者
「武辺咄聞書」「名将言行録」に収められている竹中父子の逸話、 重治(半兵衛)が同僚諸将に合戦譚を聞かせていたところ、重治の子息左京が 途中で席をはずした。戻ってきた我が子に理由を尋ねたところ、 「小用をたしに行った」と返答したので、重治は大いに怒り、 「合戦譚に聞き入っていたため、尿を漏らし、座敷を汚した。それでこそ さすが竹中の子と言われ、我が家の面目も立つというものだ」と叱った。 これは半兵衛・重門父子の会話と思われているが、左京という人物が気になる。 半兵衛の子は重門しか見られぬし、重門が左京を名乗ったという証拠もない。 しかし重門の嫡男重常(つまり半兵衛の孫)は左京亮を名乗っているのである。 このことからこの話は半兵衛・重門父子の会話ではなく、重門・重常父子の 会話とも考えられる。
136:人間七七四年
稲葉山城占拠は史実(同時期に安藤伊賀が稲葉山城周辺の行政を担当してた史料があるらしい)が、 そこで半兵衛がどのような働きをしたかがわからないんじゃなかったかな まあ安藤の娘婿だし、その後国を逃亡したことから参加したのは間違いないようだが
137:人間七七四年
>>15に同じ話書いてあったな
138:人間七七四年
>>20 そりゃ元ネタが孔明だからね
139:人間七七四年
張良は実際は爺さんか初老の親父ぐらいの年齢だし
140:宇喜多直家信者
竹中半兵衛より竹中重門の方が好きだ
141:人間七七四年
息子なんかしたっけ?
142:宇喜多直家信者
>>141 善政、父親には天下を狙うなと言われてたしな
143:人間七七四年
関ヶ原の時に活躍したのは息子だっけ? 孫だっけ?
144:人間七七四年
>>143 息子
145:人間七七四年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%8D%8A%E5%85%B5%E8%A1%9B 子孫は元彌ママotz
146:竹中一族
素敵な書き込み有難うございます。各種単行本に記載してある内容は事実かどうかわかりません。ただ、いまだに語り継がれる竹中半兵衛の逸話には信憑性も数多くございます。
147:竹中一族
ここにおいでの皆様は、岐阜県垂井町及び兵庫県三木市に行かれた事がございますか?垂井町は半兵衛生誕の地であり、陣屋跡や学校跡が残っておりますし、町の資料館には半兵衛ゆかりの写真等々保存してございます。
148:竹中一族
また三木市には半兵衛のお墓がありまして、毎年命日には平井山の皆様が供養をしてくださり、確か今年は428回目か429回目ではなかったでしょうか?
149:竹中一族
僧侶の読経と町民の方々による詩吟にて弔って戴き、以前大臣を経験された井上喜一代議士も参列されておられました。宜しければ是非一度お訪ね下さいませ。
150:人間七七四年
大野町にも半兵衛の生誕地があるんだよね。
151:小魔玉 ◆N10JLQ90IM
竹中半兵衛公が亡くなった時の秀吉の落胆振りは、かなり凄かったらしいですが、 例えるとどんな感じだったんでしょうか? >>147 1ヶ月前に竹中半兵衛公の墓に行ってきました!! http://p.pita.st/?m=vskcw5g3 と、三木市の竹中半兵衛公に対する熱い思いが“ビンビン”伝わってくるお墓でしたw あと、播磨・三木城跡と三木城攻めの際に秀吉が本陣を構えた平井本陣跡も行ってきたので ↓に貼っておきますw http://p.pita.st/?m=odwspvwb http://p.pita.st/?m=bexpq5oz http://p.pita.st/?m=vjgd2dsq
152:人間七七四年
鉄砲三段撃ちを考えたのは半兵衛って本当ですか?
153:人間七七四年
>>152 三段撃ち自体が史実ではないのだが。
154:人間七七四年
半兵衛が松寿丸を匿う場所として、美濃にある半兵衛の故郷を選び、 松寿丸を連れて、「ここが関ケ原と申してな、この地は東西の交通の要所で──」 と、関ケ原を知り尽くしている半兵衛が、まだ幼い松寿丸に、優しく語り掛ける姿が、 史実、逸話、創作に関わらず、目に浮かび、僕たちに感慨深い何かを感じさせてくれるのだ。 そして後に松寿丸が黒田長政と名乗り、彼がこの地で大きないくさを、 繰り広げることになるわけだが、そこら辺も、ああ、歴史っていいな、思う瞬間である。
155:人間七七四年
播磨灘物語でのその場面に感動したな 半兵衛好きになった思い出の小説だ
156:人間七七四年
>>107 半兵衛が悪いわけじゃないけど 軍師カコイイ!、こーゆー軍師いっぱい育てれば戦争に勝てるゾ と勘違いしてたのが太平洋戦争の日本軍じゃなかったか?w 奇策きどりの愚作ばっか立案する輩を
157:人間七七四年
>>156 桶狭間=奇襲成功という伝説と同じ弊害だな。奇襲と迂回戦術に一辺倒。
158:人間七七四年
竹中家って江戸時代、交代寄合なんだなあ・・・ 大名待遇で、行列組んで参勤交代してたんだってなあ すげー
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